ペリー来航から日本は
アメリカと「日米和親条約」を
1854年に締結して
その後日本はなし崩し的に
開港から開国へと向かいました

鎖国中唯一の対外貿易を
行っていた長崎は
その有益性を失われた訳ですが

江戸時代から外国船が訪れていた
長崎には
ロシア、フランス、イギリス
アメリカと
次々と和親条約が結ばれて
そして「友好通商条約」も締結され
通商目的で来航するように
なりました


長崎では出島の対岸に当たる
大浦地区を埋め立てて
土地を外国へ貸し出して

居住と商館と倉庫が建てられ
更にホテルや銀行など
長崎大浦外国人居留地は
賑わいを見せました

出島や唐人屋敷への
出入りも一部自由になり
長崎の貿易は
更に栄えていきました


この時期日本は幕末で
倒幕派と幕府軍での
内戦も激しくなってましたが

来日した外国人の中には
維新の志士たちを
助けて武器を売るなど
幕末の混乱を
商機と捉える商人もいました

その一人がトーマス・グラバーで
長崎に残る
グラバー邸には維新の志士たちを
かくまったとされる
屋根裏の部屋が発見されました


また長崎では出島を通じて
貿易を試みる
長崎の商人も現れました

こうしたことが出来たのも
長崎の対外貿易の
成果の表れといわれます

製茶販売や印刷に西洋式砲術など
長崎が発祥のものが
多くみられます

次回より人物にスポットを
当てて
振り返りたいと思います

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


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