前回 長崎 唐人屋敷の中で
火事で焼失した
唐人屋敷の払い下げを受けて

館内町として整備した人が
森伊三次(もりいそうじ)さん
だと書きました

この森伊三次さんは
明治時代の富豪ですが
また様々な
整備事業に私財を投じてました


そのひとつが
長崎の浦上川の埋め立てです

埋め立てた
壮大な土地の新田開発に
尽力をして
森伊三次さんはその土地の
大半を所有してました

その土地はやがて町となり
森伊三次さんにちなみ
森町と呼ばれていました


しかし森伊三次は
自ら名前を変え
里が栄える(茂る)ようにと

茂里(もり)町と名前を変えました

当初茂里町は
長崎浦上村村里郷に属してました

1898年に長崎市に
編入されます


1913年に周辺部と合併し
現在の茂里町になります

やがて1964年に
町名変更で
新しく岩川や浜口といった
新しい町が
誕生して現在の町域になります

また森伊三次は1897年に
現在の浦上駅が
長崎駅として鉄道が
開通した際に
駅舎の土地として
15000坪の土地を提供してます

今まであまり知られなかった
長崎の恩人です
長崎 茂里町は
僕もよく通う町です

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
かつては浦上駅の住民でした