江戸幕府による禁教令は
豊臣秀吉の「バテレン追放令」を
引き継ぐかたちで行われました

まず1612年に江戸・京都など
幕府直轄地での
キリスト教布教が禁止されました

さらに諸大名や家臣たちの中の
キリスト教徒の調査がされ
該当者は次々と厳しい処分が
されました



そして翌1613年に幕府は
直轄地に出していた禁教令を
全国に広げます

このバテレン追放令が
江戸幕府のキリスト教禁教令の
基本になりました

ここからキリスト教徒への
弾圧が強くなりました

キリスト教徒には棄教が
厳しく迫られるようになりました



そして1616年の「島原の乱」から
キリスト教徒の発見と棄教の
推進を強く進めていきます

寺請制度の創設などにより
民衆はどこかのお寺の檀家になり
寺請証文を貰い
キリスト教徒でないことの証明を
義務づけられました

幕府はこうして禁教令を
推進しながら
鎖国へ進んでいきます



1612年の禁教令から
1616年の二港制限令となり

さらに1624年にスペインとの
国交を断絶します

そして1633年に
最初の鎖国令が出されました

〜続く〜