大村純忠の命により
長崎の町を治めたのは
長崎開港の祖と呼ばれる
長崎甚左右衛門です

長崎甚左右衛門も
大村純忠と
同じくキリシタン大名です

長崎でのキリスト教の布教が
開始されたのは
1567年に
フランシスコ・ザビエルの
跡を継いだ
ルイス・アルメイダです

当時はまだ戦国時代です
長崎甚左右衛門も
大村純忠の
戦いに参戦してました


しかし長崎甚左右衛門は
戦費が底を尽きました

そこで長崎甚左右衛門は
長崎港に入港していた
ポルトガルに借金をしました

もちろん長崎甚左右衛門には
借金を返す
当てはありません

なかなか返済がされないことを
問題にしたポルトガルは
領主の大村純忠に
借金の返済を直訴します


大村純忠は折衷案として
長崎の町とその周辺
さらに長崎の茂木町を

大村純忠の戦いにポルトガルが
貢献してくれたとの口実で
1580年に
ポルトガルに寄進します

これにより実質長崎の町は
長崎甚左右衛門の
借金の肩代わりとして
ポルトガルの
イエズス会領になります

長崎の町は日本にありながら
治外法権の
ポルトガルの領地になります


やがて豊臣秀吉が
天下統一を果たします

豊臣秀吉の対外政策は
織田信長の考えを
受け継いだものでした

日本国内にキリスト教が
広まるのは
好まないが貿易での
利益は欲しいです

この曖昧な政策を続けたことが
後のキリスト教徒の
悲劇にもつながっていきます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑通りすがりのねこです