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長崎の歴史:福地桜痴 6


またまた久しぶりの
福地桜痴です

明治天皇に西南戦争の
戦況報告を澄ませた
福地桜痴は

翌1878年
渋沢栄一らと共に
「東京商工会議所」を設立します


また東京府議会議員にも
当選しました

また民間人が考える憲法の私案
私擬憲法の「国家意見」を
提出しました

また天皇が軍人に送る言葉
「軍人勅諭の制定」にも
関与しました


この年「東京日日新聞」は
1万2千部を
発行するようになりました

桜痴の自宅は「池端御殿」と
呼ばれるようになり
連日多くの人が
集まるようになりました

1882年に「立憲帝政党」を
設立して「天皇主権」
「欽定憲法」「制限選挙」を
政治要綱に掲げます


しかし時の明治政府は
超然主義
(他の意見に左右されない
独自路線)を
とったため存在意義を失い
翌年解散しました

仕事柄外国へいくことが
多かった桜痴は
9代目市川團十郎や
中村宗十郎などと演劇論を
交わしてました

そこから桜痴はフランスや
イギリスの作品を
翻訳して演劇作家に提供してました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑ラズリーちゃん
実は役者です
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