高野山大学の名誉教授松長有慶氏の講演を聴いてきた。
ダライラマとの宗教対談で、唯一意見が相反した点があるという。
ダライラマ:インド仏教では、石などの鉱物には心(意思)はない。
松長氏:日本人の解釈では、石にも心がある。(これを有情というらしい。)
日本人というのは、宗教感も他の民族とは異なっているのが面白い。
写真は四国別格20霊場第15番箸蔵(はしくら)寺の本堂です。
箸蔵寺(はしくらじ)は、徳島県三好市池田町州津に所在する真言宗御室派別格本山の寺院。山号は宝珠山(ほうしゅざん)。本尊は金毘羅大権現。香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮の奥の院で、今日まで神仏習合の風習を色濃く残す寺院です。参拝していて寺院なのか神社なのか分からなくなりそうです。
讃岐(香川県)のこんぴらさんのお祭りの時に使われた箸を箸蔵山にすむ天狗様が箸蔵寺に運び納めたという「天狗の箸運び伝説」があり、この本堂にも巨大な天狗の面が奉納してあります。
山の上部の大部分が箸蔵寺で、立派な建物(伽藍)が沢山建っています。
この本堂は頂上にあり頑丈な造りの建築物です。
箸蔵寺への参拝は専用のロープウェイが開業しているが、徒歩で登る昔ながらの風情のある参道もあります。
四国八十八カ所、別格20霊場の寺院の中でも、一番豪華さと風格を感じた寺院でした。
遍路でなくても、何かの旅の途中に観光気分で寄ってみてはいかがですか?ロープウェイ乗り場の駐車場完備。
写真は四国八十八箇所第78番札所郷照寺の大師堂です。
ここを訪れた時、珍しい情景に遭遇しました。普通、お遍路さんは、お寺に入ったら、般若心経など唱えながら、ご本尊をおまつりした本堂に参拝してから、大師堂にお参りするのですが、弘法大師のみを崇める「大師教」というグループ(教団)があります。
この郷照寺の境内で休憩していた時のこと、「な〜むだいし遍照金剛♪」、「な〜むだいし遍照金剛♪」と合唱しながら列をなして集団が境内に入っきました。金剛杖を持った先達(先導者)の後に大勢の女性が列を作って進んできました。まるで長い蛇が進んでくるような姿でした。
この集団の列は、そこのけ、そこのけ、俺たちが通るのだ、というように、本堂の前はあっさりと素通りし、「な〜むだいし遍照金剛♪」、「な〜むだいし遍照金剛♪」とだけ唱えながら、この写真の大師堂に向って上がり、うやうやしく参拝し、本堂は目にも留めずさっと引き上げて行ったのです。
弘法大師だけを敬い、面倒なお経は唱えず、「南無大師遍照金剛」と弘法大師をたたえる言葉のみを繰り返し唱えるという割り切った信仰の姿を見た思いでした。
物事は割り切って単純に考えることが良いのかも知れません。
四国八十八ケ所第10番札所切幡(きりはた)寺。
先日、ここに参拝に来られた老姉妹が行方不明になったというニュースが「お遍路さん、行方不明」としてが流れていました。そんなに山深い場所ではないのにと思っていましたが、翌日発見されて無事だったようです。物忘れがひどい老人の事故かなと思っています。歳とってくると、アルツハイマーやボケが心配になってきます。親族などに多大な迷惑をかけかねないからです。いずれ、持ち応えられなくなって、ボケてしまうにしろ、それは先の先のことであって欲しい。多くの年取った人はそう願っているはずです。
ここは真夏によく似合う、風景の美しいお寺だと思います。
お遍路は必ずしも札所の番号順に1番からお参りしていかないとダメというわけではなく、どこから始めてもよいとされています。ただし、順番に巡り、全体として巡拝の輪を完成することが成就の条件とされています。この切幡寺は、1番札所から廻り始めた人にとっては、初日のコースの内となるのが普通のようです。
NHK「花子とアン」、脚本に力が失われている。脇役たちの出来事に話がブレるだけで、主人公主体の筋が色あせてしまった。もうすぐ9月末。このまま終わってしまったら惜しい。テーマ曲はかなり気に入っているが。長さが適当に短いのがいい。それに比べれば「ごちそうさん」は良かった。