自分の絵画のスタイルがぶれながらも3回に2回くらいの確率で確かなものになってきた、と感じるこの頃である。

得体の知れない自分の内なる姿が好き。
それはまるでとても不穏で攻撃的で衝動的な野生の生き物である。
理性を捨てながらも捨てきれない中で様々な相克に喘いで葛藤を抱えている。

人は自分の事が大好きで他者には大凡無関心である。
そんな中、葛藤と言う言葉を、人はどんな意味に、どんな状態に捉えているのだろう。
相克や矛盾の中での葛藤こそ人間の生の真実であり、普遍的な事実だと考えていたけど、それはきっとその疑問に対する答えによってはお節介だったのだろう。
絵画とは自己満足に済むものなのだろうか。
そうは言いつつ、観者に対して「共感出来る人だけ見てくれたら良い」などとまるでこちらからその人を選ぶ様に傲慢な態度である。
やっぱりこの傲慢さこそ作者の自己愛の表れで、結局どんなに相克や矛盾を抱えて葛藤していると自分で思っていてもそこに陶酔している自分が表れた結果が作品なのだろう。
自分の作品は生の真理を追求しているんだ!と思いながら自己愛をもって自己愛としてそれを示している。
今迄考えていた「相克や矛盾の中での葛藤こそ人間の生の真実」という私の理論は間違っていたのだろう。
生の真理とは、野生的に自己に満足し、野生的に自己を最も愛することなのだろう。
自分を愛するための作品制作なんだ、どうせ作品を提示した時に傲慢に見えてしまうなら最初からそう在ってしまわなければ生の真理をもった表現なんか出来ないだろう、…でもやっぱり、自分はそうは考えたくも在りたくなくて、…




いかん、お腹が空いた。
このことはまた今度考えるとする。