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採用試験

終ー了ー\(^o^)/笑
さて画塾の講師でも探そう。

勉強を積み重ねてきたことは全て出し切ったけど、小論文でラスト2、3文書けなかったことは心残りになった。
こういうものは運と言える部分もあるので少々の失敗であって仕方ないのではと母が励ましてくれた。
又、母が作ってくれた弁当の中には「自信を持って頑張れ」等とのメッセージカードが入っていた。
母は内心、私に教員になって欲しいと思っていたと思う。
私が教員に対して失望して教育という世界に辟易したと話をした時に、悲しそうな顔をしたことがあった。
まあ当然のごとく。
4年間大学に通わせてもらっているにも関わらず、そこで学んだことに対して辟易しただの不毛だのと偉そうに話をすればそうなるのは当たり前である。
私が大学で学んだことを生かすことが出来て且つ安定したレールの上を走る為に影ながら努めてくれていた親の存在に気付くことが出来ていなかったことに反省した。
例えそのレールが今や限の見えないいたちごっこのような世界だと気付いても、きっと私はそこに乗じる為に、親の姿を見習い努めなければならなかったのだろう。
試験の終わった今となっては取り返しのつかないことだがアリバイとして受かっていればいいのにと、こんがらがった感情や思考が堂々巡りしている。

それにしても、小論文の参考書というものはある種宗教染みていて何度読み返しても吐き気がする。
教職への熱意や独自の理念を語れと言っておきながら、現職の教師を否定する物言いは禁物であるとしている。
それを書いた暁には確実に落とされるだろうとまで書かれているものもある。
つまり教育の弱みを的確に見抜けられて、改善点を個人的な見解からであっても考えられ、ひいては教育の世界を多方面から追及し不毛な世界ながらも情熱をもって立ち向かおうとする人よりも、どんな不条理なことにも周りの意見と同調する都合の良い人を求めているのだろう。
きっとどの職においてもそうだと思うが極端に独裁的な考え方だと思う。
仕事とは宗教だろうかとも考えてしまう。

まあ何を言っても今更なのでもう考えるのをやめることにする。
今後どう行動していくかは大いに結果次第なので。
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