スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

そよそよ〜

一番欲しい物を手に入れようとして一番嫌な事をやらざるを得ない。

そんな時は必殺俯瞰視。

嫌な状況になるのを出来るだけ回避して遠くまで遠ざかってのんびりと何か別の事でも考える。

物にははっきりと白黒をつけたがるしその為についせっかちになってしまうので、こういう場合はとりあえず何のしがらみもない場所に移動してみる。

そのままその問題が解決しなければ、そしてその問題に無関心になってしまったらそれは今の私には必要なかった事だということ。

少しでも解決したいと思うことなら誰かに押し付けてしまったり一緒に考えたりしてもらう。

そして同じ様に、その人が解決しようとしなかったり無関心になってしまえばやはりそれもそれまでのものになる。

解決出来なかったことは、その為に自分なりの努力を惜しまずに出た結果なら悪いことではない。

解決しないという結果も一つのはっきりとした答えである。



とりあえず今は自然体で生きてゆきたい。

風のようにしなやかであたたかくてつめたい一瞬の存在になりたい。

音の無いそよ風で、草木を靡かせるほどの力も存在感も無くていい。

そうして、人知れず生きて人知れず静かに消えたい。



これは新しい絵画表現のチャンスかもしれない。


タイトルなし

自信を持つということは自分を愛する事だと知った。
今迄20年と少し生きてきて始めて自分に足りなかったものが見えた。
切欠は少し辛い事だったけどこれが分かってからはもう平気で、寧ろその切欠に感謝したい。
何があっても自分の事を守って、どんな自分でも抱き締めてわがままになっても自分をどんどん甘やかせる。
それで満足だから人の評価はどうだっていい。
誰だってそうだろう。
いつも自分が大事で、自分を守って生きている。
たとえ目の前に傷ついた消えかけの他人の命があっても、そんな事より今日の自分が幸せに満足に生きられるかを考えているのだろう。
どんな事をして遊ぼうか、晩御飯は何を食べようか、趣味に費やす時間は作れるだろうか、睡眠時間はきっちり取れるだろうか。
思っていたより、人は自分の生活で手一杯で人の事は見向きも出来ないのだろう。
そんな人達の姿を見て、自分を本当に必要として愛してくれる存在はここにあったと初めて気がつくことが出来た。
灯台下暗し?と言うのかな。

でも私はいくら自分が大事でもそうはしたくない。
傷ついていたら消毒して絆創膏を貼るし消えそうになっていたら話ぐらい聞きたい。
少なくとも私は自分にされた様なことは他人には出来なくて、きっと人よりお節介なのだろう。
それによって何か見返りを得たいわけではない。
もしかしたらそういう所で教職に憧れがあって、体が自然にそっちに向いたのかもしれない。


色んな漠然としていたことが今になって漸く見え始めた。

中々

解決出来ないことを長い間持っている。
小出しにしてみても良い方向に考えようとしてみてもどうにも思考の方向転換にならない。
それどころか、その悩みの為に私がわざわざ策を講じてやらなければならないのは何故だと更なる怒りが込み上げる。
醜い感情なだけに心も脳味噌も膿んでいく感覚があり、何故私だけがこんな思いをしなければならないのかと狂いそうになる。
いつ迄経っても見えない解決の糸口には目を向けない様にするのが一番良いのだろうけどそれが出来ていたら未だに苦労も何もないわけで。

その大元から離れてしまうのが一番良いのだろうか。
先日迄はあんなにプラス思考で前向きになれていたのに何故いつも反動でこうなってしまうのだろうか。
悔しくて苛立たしくて消えてしまいたいと思う。

モスチーズ食べたい




今日の晩御飯、ボロネーゼっぽいスープパスタ。
茄子を入れようと思っていたけど高かったので断念してひき肉のみのパスタとなってしまったがまあなかなか悪くはなかった。
パスタを多めにしたのでとんでもない写真写りになってしまったけど。


そう言えば今日家の前のコンビニサイズのイオンで買い物をしていたら、もやしのコーナー辺りから流れる音楽がいつものmush&coではなくバリ島の民族音楽?のようなものに変わっていた。
洗脳されそうな謎のリズムに気が狂いそうになった。
あとは、朝のかなり寒い時間に多くの学生が薄い長袖シャツ一枚で平然としており更に一部の学生は暑いとまで宣っていたことが少し意味不明だった。
今日も島根県m…島根国民は絶好調らしい。


それはそうと唐沢寿明はドラマじゃない時はかっこいいな〜。

明日も良い一日

今日は割と色々良く無いことも考えたけど凹まなかった。
おはようからおやすみまで清々しいなんて、誰か好きな人と一緒に居ても難しいことなのにそれが一人で出来ているのは私にとって凄い事なので嬉しい。
Twitterから離れてブログを始めたのが良かったのか、一人でも前向きになれたり、前より自分に自信を持てるための準備を一緒にしてくれた大切な人の存在が長期に渡ってあったからか、これだと断言出来るまでの確かな理由は無いけど自分の内面的な微妙な変化がとにかく喜ばしい。
それに加えて、自信がついたからか自分の事を以前より褒める様になった。
今日は特別支援教育についての勉強を頑張った、少しでも復習出来た、誰かに優しくした、節約出来た、沢山笑うことが出来た、こころ静かに過ごすことが出来た。
些細なことでしかも他人から見たら当たり前でばかばかしいと思う様な事でも、当たり前だからこそ出来て嬉しいと思うことが出来ることはある種の気持ち良さがある。
ハードルを下げた物の見方をすることで、自分の今日を認めて抱き締めて愛することが出来るだろう。



さて2355を観て、コブクロの流星を聴いて寝よう。
前の記事へ 次の記事へ