ふーさん、またまた思考の迷路なうの巻。


















・普段履くスニーカーが糞以下のボロい奴しかなかったから買った。「カジュアルなのがカジュアル過ぎなくまとまり、きれいなかっこに合わせるとハズシになるんってなんだろな」と考えた結果がこれである。わかりにくいが裏地チェックとスウェード地、レザー使いがお気に入り。買ったはいいがどうしようかしらマジで。






・音楽にもファッションにも言える話なんだけど、センスって一体なんなんだろう。かっこいいだのダサいだのってなんなんだろう。椎名林檎の月に負け犬の歌詞に「好きな人やものが多すぎて見放されてしまいそうだ」とあるが、まさにその心境だ。好きなものはたくさんあれど、なら自分の芯ってなんだろう?との問いの前では、どこまでもすっからからっぽな自分が裸にされてはうなだれている。それらを気にせずに様になるほど才能がないことは知っている。


「人のことなんか気にすんな」「失敗を恐れるな」とは言えども、人のことを気にしてるのとはニュアンスが違う。自他共にサムイと思うことをしてるのに蒙昧な自分自身を許せないのだ。それに残念ながらふーさんは失敗が許される歳ではない。そもそも音楽もファッションもなんのためにやってるんだろう。ほんとうにただ楽しいからじゃダメなのか。




・いっそのこと怪獣かなにかが現れて、世のセンスも価値観も全てぶち壊して真っ平らに平均値化してしまえばいい。100の統制と100の自由は反対なようでよく似ている。どちらも思考を放棄したいからっぽな小市民には過ごしやすい環境だ。




・そしてこんなくだらないことにうじうじと悩むこと自体がダサいことも、ダサいだのなんだの気にしてること自体がダサいことも確かだろう。しかし生きてるだけで沸いてくるこいつは誰にも見えないところに閉じ込めて、むごく小さく慎ましく生きていくしかないのだろうか。













いつからこんなつまらないことばかり気にするようになってしまったんだろう。