2014-3-1 15:24
おぼろとケイヴ。
長い時間生きる予定の彼女と長い時間生きているしこれからも生きる予定の彼女。
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「ケイヴ、ほんま、ちょお待って…」
「待たないわよ。ただでさえ時間がないんだから」
並外れて長身のおぼろが長い体をフラフラと揺らし覚束ない足取りで追いかけるのは、自分より遥かに小柄な色黒の少女、ケイヴだった。
今日の依頼は二人だけで行なった。
普通の人間の手には負えないほどにモンスターが増えた森の片付けは存外早く終わったが、この森に来るのは久し振りだというおぼろが行かなくてもいい森の奥地まで探索し始めたものだからケイヴは呆れ返った様子だった。あえて止めなかったのは止めようとするだけ無駄だと知っているからだろう。
迎えの船の時間が迫り引き返す頃にはおぼろは仕事の時よりもはしゃぎ疲れきっていた。そもおぼろより体力も力もないはずのケイヴは涼しい顔でおぼろの前を歩いている。
「ちゅうか回復くらいしてくれてもええんちゃうかなケイヴはん……」
「慈善事業は趣味じゃないの」
というか自業自得だバカヤロウ。
苛立ちを滲ませる少女の後ろ姿を眺めながら、おぼろは小さく笑った。付き合いは長いはずだが、考えてみれば二人きりで出掛けるのは初めてだと思ったからだ。
おぼろが仲間と共に世界の危機を救ってから、ゆうに十年は経っていた。
変化は、あった。
あるものは成長し、あるものは老いた。
立場が変わり船を降りたもの、新たに船に乗ったもの。
あるいは本当になくなったものもいたし、何も変わらずそこにあるものもいる。おぼろとケイヴがそれだった。
彼女たちはヒトではなく、またこの世界にある多様なもののどれにも属さない、『種』でさえない。後を遺す訳でなく、世界を守り、見守り、死せず消える存在だ。
おぼろは『この世界』の為に生まれたものだが、ケイヴはそうではない。いくつもの世界を巡りその終わりや始まりを見てきたのだとか。
どう生きようがこの世界が終わるまでの命であるおぼろと違い、彼女の命はほぼほぼ永劫のものなのだ。
この世界を離れてしまえば途方もない時の中で自分達のことなど忘れてしまうのだろうか。それは少しばかり、寂しい。
「…ケイヴはいつまでここにおるん」
「あ?」
ぽろりと溢した問い掛けに幼い外見の少女はチンピラのような低い声を寄越した。立ち止まって振り返った顔には『無駄話かこのヤロウ』とデカデカと刻まれている。彼女も少なからず疲れているのだろう。おぼろは今更ながら申し訳なく思った。
「いつまでも何も出来ることなら早く、速く帰ってお風呂に入って寝たいわね。誰かさんは夕飯を作るほど元気ではなさそうだし」
「いや、森の話と違て」
「…何よ、私が嫌になった?」
まるで恋人の別れ話のように返したケイヴの顔からは何も窺えなくなっていた。生まれて十年と少しのおぼろには彼女の感情など読めない。
何と答えるべきか分からずおぼろが曖昧な笑顔を浮かべて見つめ返せば、程なくしてケイヴは顔を歪めチッとあからさまに舌打ちをした。
おぼろは彼女が自分といるときガラの悪さが増しすぎるのではないかと内心冷や汗を掻いた。
「そうね、あなたは寂しがりだったわね」
呆れを滲ませた声と、ため息。
いつ自分が寂しがりだ寂しいと告げただろうかと思案するがおぼろには思い付けない。顔に出ていたのかケイヴは今度はかなり大袈裟な溜め息をついてから前を向いて歩き始めた。おぼろも慌てて足を進める。先程よりいくらか疲れは取れている。
「うち、寂しがりなん?」
「相当ね」
「言うた? そんなこと」
「言ってるわよ。この前だって一人じゃ出掛けたくないって私を連れて二人だけで出ようとしたじゃない」
私、あわてて傭兵を手配したんだから。
言われて、咄嗟に言葉が出なくなる。彼女が話したエピソードの内容ではない。おぼろを止めたのは前置きの『この前』という部分だった。
実際にそういう事があった。確か怖い夢を見て、それでもどうしてもこなさねばならない依頼があったのでケイヴに泣きついた。船の仲間でなく傭兵を雇ってもらったのは弱った姿を他の乗員に見られたくなかったからだ。
そういう事はあった。それは事実だ。事実に何一つ相違はない。
けれどそれは世界を救うより前、それこそ十年以上も前のことだ。
それを目の前の少女は、まるで二日ほど前のことのようにさっぱりと話したのだ。昔と言わず、この前、と。
ああ、と知らず声が出た。歩みも気付けば止まっていた。聞こえているのかいないのか、彼女は止まらない。彼女にとって十年の年月は本当に、本当に短いことなのだ。一日も十年も変わらぬと。彼女の生きた時間は百年や千年で語れる話ではないのだと。
ならばこのたかが一瞬が、彼女に何を残せるというのか。長い付き合いなどとどの口が。おぼろは急に何もかもが腹立たしくなる。
「こんな風に、うちらはあんたに置いて行かれるんかな」
なあ、ケイヴ。
言葉の始めから終わりまで頼りのない声が出た。相変わらずケイヴは歩みを止めない。それでよかった。きっと今自分は情けない顔をしている。
理不尽なことと思った。けれど、自分が生きた時間の大半を共有してきたのにそれが彼女にとってほんの些細な時間だと痛感してしまっては傷つかずにはいられなかった。おぼろはまだ、子供なのだから。
ただの子供なら大人を看取って思い出を胸に未来へ行くだけだったのに。自分が世界と共に永久の沈黙に呑まれようと彼女は先へと進んで行くのだろう。その先の彼女の心に自分が住み着ける確証などどこにもなかった。
目の前の背中が小さくなっていく。それがおぼろにとっては遠い遠い、彼女にとってはそう遠くない未来に重なってどうしようもなく恐ろしくなった。
ほんとうに
「本当に、寂しがりね。あなた」
彼女の歩みは止まらない。おぼろより遥かに狭い歩幅で、決まったリズムで進む。進む。
「せめて隣を歩いてくれてもいいんじゃないの」
その時に鳥でも鳴いていようものならたちまち消えてしまいそうな声が。途端おぼろは軽やかに地を蹴りケイヴの傍へと跳んだ。彼女は存外まだ近かった。
「しゃあないな、ケイヴがうちの隣がええって言うんやったら一緒に歩いたらなアカンもんなあ?」
「ブッ飛ばすぞ」
「心頭滅却! 心頭滅却!」
少女は子供の駄々に『忘れない』とも『置いて行かない』とも言えない。分かっている。分かった。
ならば子供は子供らしく、自分は自分らしくとりあえずはバカであることにした。
なに、時間はおぼろにとってはたくさんあるのだし、少しくらい無為に過ごしても文句は言われまい。無為に過ごしたその時間はケイヴにとってはほんの僅かなのだし、まあ、どっこいどっこいという奴になるだろう。
「な、ケイヴ」
「何よ」
「うちケイヴの親友になりたい」
「気持ち悪い」
おおばかの憂慮