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好き

こんばんは、一ヶ月以上ぶりの夢路です。
みなさんいかがお過ごしでしたか?

このブログで出会った頃は高校生だったのに
なんだか春から社会人という子もいたりと、時代を感じております←

今日、先ほどうーたんと会ってきました。
昼間にメールがあって、夕方から会ってきました。

この間、自殺未遂をしたと。
救急搬送され、警察も来たらしく。

生きてくれていて、よかった。
まっさきに、そう思ったよ。
そして、伝えたよ。
彼女を苦しめる言葉かもしれなくとも。

でも、彼女はその言葉を待っていたみたいだった。


それから、ご飯を食べに行った。
遅い誕生日を祝った。
「生きてて良かった」と、言ってくれた。
その言葉が、嬉しかった。

また来年も聞きたいと、約束をした。
「夢路に会うたびに、また一年、また一年と、伸びていくね」と言われた。
嬉しかった。
彼女が笑ったところを久しぶりに見た気がする。
愛想笑いでもなく、「楽しいね」と言ってくれた。


それから「一緒に住みたい」と言われた。
私は真っ先に約束ができなかった。

人の多いところで笑いながら大きな声で「俺とより戻すか」と言われた。
恥ずかしくなって慌てたら「冗談ですませばいいのに本気に対応するお前なんなんだよ」と笑われた。
そうすれば良かったのかとまた恥ずかしくなった。
幸せだった。

帰り際、長い時間、車の中で抱きしめあった。
手をつなぎあった。
「人のぬくもりはこんなにも暖かいのか」と言われた。
いろいろな約束をした。キスをした。私の大切にしていたストラップを彼女にあげた。



彼女と別れたのは、私の勝手なことだった。
きっと彼女はもう私を愛していないのだと決めつけていた。
けど今日話していて、愛してくれていたとしった。
私も彼女を愛している。


けれど私を揺さぶるのはいろいろな思い。
more..!

生きる意味をもう一度


こんばんは。お久しぶりです、夢路です。
震災から、5年。
「もう」と捉えるのか「まだ」と捉えるのかは、それぞれですね。
この5年の間に、私はなにができただろうか。
今日はそんなことを考える一日でした。

就職をして、毎日泣いて、ようやくお客様に顔を覚えてもらえて、
「アンタと話してるといろんなもん買っちまうよ」と呆れながら笑って言ってくれる方や、
「姉ちゃん、商売うまくなったな」と褒めてくださる方、
かと思えばようやく常連さんとして、うちを気に入って度々来てくださっていた方が、今度転勤してしまうという話を聴いたり。
いろんなことがありました。

常連さんは、比較的ご老人の方々が多く、ひとりで暮らしている方が多いです。
目の見えない可愛らしいおばあちゃん、歩くのがやっとの偏屈だけど話すと優しさがにじみ出るおじいさん、物忘れが多くて自分がなにを買ったのかわからなくなっちゃう風邪をひいたことのない元気なおばあちゃん。
2人のわんばくな子供がいていつも苛立ってしまっているお母さん、お手伝いをよくする男の子、ブロッコリーが好きでいつも勝手にママのカゴに入れちゃう子。
いろんな人がいて、その中で私は思うのです。

この人は、笑えているだろうかと。

私の綺麗事だし、お節介だし、私のエゴなんだろうけど。
多くの人に、「生きていてよかった」と思える一瞬があることを願ってる。
私なんかが笑顔にしたいと思わずとも、それぞれが笑っていればそれでいいんだよ。価値観はそれぞれ違うのだから。

苦しみから逃げることはできないのかもしれない。
運命から抗うことはできないのかもしれない。
それでも、その中でも、そこから離れられる時間、場所がすこしでもできればいいと思う。
本来だったら、気軽に集まれる場所があればいい。集会所でも、若い人も来れるような、カフェ風の施設にしたり、そこに来れば人と会える、話ができる、悲しみを分かち合える、笑顔になれる。
そんな場所をいつか作れたらなあ。

なんだったら、私の働いてる、野菜の販売所だって、それはできる。
スーパーだって、病院だって、人が集まるところなら絶対にできる。
ただそれをしないだけで。
ものを「売る・買う」場所としてではなくて、まずは人と人で会うことができる場所として、来てくれる人にどう接するか。
確かにうちだってスーパーだってどこだって、まずは利益がなけりゃそこを運営していくことすら難しくなるから、私の言っていることは綺麗事になるんだけどね。


母にも、うーたんにも言われた。

「お前の言葉は綺麗事」だと。

そんなの、痛いほどわかってる。自分が理想を行っているのは。
それでも、綺麗に生きてはダメなのかな。
綺麗な世界を望んでは、ダメなのかな。

みんなが笑顔になれる世界は、作れないのかな。

小学生の頃、入院中にであった一人のおじさんがいた。
その人とは2ヶ月の間、たくさんの時間を共に過ごした。
後ろ姿がが私の父に似ていて、
あまり話をする方じゃなかったけど、いつも優しく話を聞いてくれた人。

私が退院する時には頭を撫でてくれて、
優しく笑って「元気で」と言ってくれた。


退院して1ヶ月後。
その人は亡くなった。
私とであった頃にはもう、末期のガンだった。
余命はもって1ヶ月。

それが3ヶ月もつづいたということ、
私が退院してからずっと、私と撮った写真を大切にしていたこと、
奥さんから聞いた。
泣きながら、「どん底だったあの人を笑顔にしてくれて、本当にありがとう」と言われた。


そのことが私の生きる理由になった。
「誰かを笑顔にできるなら」
その人に、生きる意味を与えてもらった。


そんな私は、間違ってるのかな。
そう思いたくはないよ。


そんなことを考える1日でした。

手を


こんにちは。珍しく昼間の夢路です。
実はこの間、うーたんと会ってご飯を食べてきました。

会う前にしばらくLINEとかしてたはいたんだけど。
会って、まあ普通のテンションで。
でもなんとなく………。

んー……。
私の勘違いなのかはわからないけど…。
彼女はね、浮き沈みの激しい人です。

テンションが高いときもあれば、今にも死んでしまいそうなほど低いときもある。
かと思えば、白々しいといったら変化もだけど、でもそんな感じのするときもある。


この間の彼女はなんとなく、その白々しい感じだった。
でも、私には言えなかった。


今はとにかく、家を出るために働いているらしい。
あれ?うーたんの家の事情は話したっけ?
うーたんの話を聞く限り、うーたんの家の人達は本当に嫌な人達で、家に帰ってくるうーたんに「ここにお前の居場所はない」といったり、知り合いのジジイに目の前でセクハラされて、親だって気がついてんのにそのままにして、嫌だっていってんのにまたそのジジイを呼んだり。

今までは、やっぱりどんな親でも、親には代わりないから出ていくということができなかった。
それこそ、親に捨てられると思ってるからね。
すがりつきたくなる。


でも今は、もう家を出なきゃなにも変えられないと思ってくれたみたいで、奮闘中だそうです。
ちなみに、同居したいと言ってくれている人は何人かいるようで、今そのひとりと頑張っているみたい。


なんというか、よかったと思う一方で、
また人に裏切られたりはしないか心配で。

でも、彼女の手を取らなかった私にそんなことを言う資格はないようにも思えて。


とりあえずは、報告がてらー。


ちなみに今日は東京で義足の練習会です。


右耳がきこえない。
まったく聞こえない、というわけじゃない。
何を言っているのかが、わからない。

右足がなくて、
右耳もきこえなくて、
そのうち右腕までなくなるんじゃないかと、
そんな馬鹿みたいなことを考える。


でも、私は右利きだから、
右腕がなくなるとしばらく困りそうだなぁ。

more..!

新年早々難解ゴト。


ハイッ!こんばんはー!!
(ほにゃらら)ブログ管理人の夢路でーす!!!

すみません、自分のブログなのにブログの名前を忘れました←
「あの日、この日」だっけ?「あの空、この空」だっけ?
まぁあとで確認しておきます…。



明けましておめでとうございます(小声
今年もよろしくお願いします(小声


もうね、申し訳ありません。前回の記事で「年内に明るい記事書いて終わりにするゾ」とか言っておきながら更新をサボりました。
最近はなかなかブログを回れないことも多いですが、改めて、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


さて、私ひとつ気がついたことがございます。
それはなんでしょう?

「今日はやけにテンションが高い」?実は私もこれについてはびっくりしています← ちなみにテンションが上がるようなことは特にありませんでした。

正解は「気分が落ち込むとここにくる」!!!


しょうもなっ!って思います?私もです。
おもしろいこと書きたいんだけどね。なんとなく今日もいろいろ考え事をしていたらここに来たくなりました。
あ、その前に話しておきたいことが。

先週、ずっと体調不良でした←

先月から胃の調子がわるくて、必ず夜に、食べると気持ち悪くなって吐いたり、食べるとムカムカしたり。
まあ食べ過ぎかなと思っていたのですが、通常の量でも激痛に苛まれたり。段々と悪くなってきてしまいには激痛に冷や汗に貧血で一瞬意識が飛んだり。
それでも「そろそろ治るかな」とのんきに構えていたら、いつもなら夜になるのに昼間に激痛に苛まれ、仕事に支障をきたしたのでようやく病院へ。

ストレスによる胃炎でした。

胃の荒れを抑える薬をいただいて一週間、すっかり元気になりました!
いろんなことを考えすぎるのは良くないとわかっていても考えてしまうものですね。


というわけで、今回もまた解決しそうにない話で申し訳ないのですがここで吐かせてください。


前回の記事でも書いたと思うけど、祖母のことについて。
認知症の祖母は叔父夫婦と、亡きじいちゃんが残してくれた家で暮らしてる。
けれど叔父夫婦が祖母を世話するのは、食事と着替えと湯船につからない風呂とか薬の管理とか必要最低限のことだけ。それ以外のときは顔を合わせることもなく、会話もほとんどないらしい。
認知症になると、自分での体温調節が難しくなる。だから人がみて、寒ければエアコンをつけたり、暖かい格好をさせたりしないといけない。それを叔父夫婦はしない。
まあできないよね?だって同じ空間にいないんだもん。そりゃ寒いとか気がつかないよね?
同じ部屋にいなくたっていい。ただ時たま様子を見たり、隣の部屋で過ごすとか、それなりのやり方はあるでしょう?
それに、認知症だからすぐに忘れちゃうのは当たり前なのに、祖母は「(叔母)に何度も聞くと怒られるんだ」と言っていた。

そして最近は母によると、叔父夫婦が祖母に対してひどい口の利き方をしているらしい。

祖母本人の目の前で、祖母の物(祖母が大切にしていた着物の帯とか)をゴミ呼ばわりしたり、
祖母の目の前で死んだらお棺に一緒に(祖母の物とかを)いれてやると言ったり。
それを聞いた母はとうとう頭にきて、叔父と真正面から喧嘩をしたらしい。
それでも、結局は泣いてしまって、対して言えずにその家を出てきてしまったらしいけど。

どうしようねぇ。ほんと。
母が祖母の家を尋ねたら、叔父が出てきて、祖母が家にいるのにいないと嘘をついたこともあった。

いっそのこと、施設に入ったほうが幸せなのかもしれないとも思う。そうすれば人の目はあるし、なにより人と会話ができる。けど、それを叔父夫婦は許さない。たぶん、世間体もあるだろうし、祖母が家にいれば祖母に入ってくるお金を自分たちが自由にできるから。

我が家に連れてきたいの。それについては我が家は全員賛成してる。
けれどみんな働きに出ていて、母は専業主婦だけどいつ入院するかが分からない状態にある。それでも、たぶんおじいちゃんの時みたいにデイサービスに通ったりできれば、私たちの休み以外の母のいない日はデイサービスに行ってもらったりできるかな。たぶんやり方はあると思う。

まあどの方法をとるにしても、叔父夫婦がばあちゃんを手放してくれればの話だけど。

母や叔父たちには少し複雑な関係がある。
それはここではあまり言わないけど、それにしたって。


悔しい。大好きな祖母がこんな扱いを受けていることが。
叔父夫婦はどう思ってるんだろう。祖母のことをどう思っているんだろう。
もし嫌いになってしまったなら、それでもいいから。せめて縛り付けないで。自由にしてあげて。


「救いたい。」と言うのは簡単。
行動するのはとても難しい。

今までだったら、簡単に言っていた。救いたいとも、そんな叔父夫婦ぶん殴ってやるとも。
けど、いろんなことを経験してきて、できないことを約束したり、訪れるかわからない希望を口にしたりするのが怖くてたまらない。
きっとそれは自分が「できない」とわかっているからなんだと思う。
「やろう」としないからだと思う。

人を救うことに貪欲になれたらいいのに。
ためらいなく、すぐに人を救う行動ができる人間ならいいのに。



汚い。
わたしは汚い。

薄っぺらい。

結局は自分が可愛いの。
たぶんわたしは何か起きたとき、人を蹴落としてまで生きようとする。
それは自分がよく知ってる。
だから家族には「もし何かあって、私が引き止めたら迷わず振り切って逃げて」と伝えてある。
「あ、でも助かりそうなら助けて」とも言ってある。

自分が今こうして生きている世界で、
誰かの世界を救うことができるって、
すごく素敵なことだけど、
私には眩しすぎる。


眩しすぎて、黒焦げになる。


そんな解決しないお話。

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