あと7ヶ月で二十歳になるらしい。
それまで1日1日成長するのが私の今年の目標だけど、
達成できているだろうか?
今日はバイト初日だった。
なんだかんだで経験したバイトも4つ目。
輸入食品とお酒のお店。
明日はちゃんと自転車なおしてからいこう。
ロキにここのところ意味もなく毎日メールを打っていたんだけど、昨日から今日の夜までの1日半、打ちそうになる手をとめた。
そのほかにやることが山積してるからというのもあり、
ロキに逃げてしまう自分をどうにかしなきゃと思うのもあり、
ロキも落ち着いて寝られるだろうと思ったのもあり(笑)。
そしたらなんだか精神的に落ち着いた。
一週間以上前に言われた、ロキの言葉が、やっと自分の中に入ってきた。
本当に自分が馬鹿というか鈍感と言うか。
そういえば私ロキに会ったとき、「好きだ」とか言わなかった。
でも、分かっているといわれて、私は大事なとこにいるからと言われた。
一人のひとにそこまで想われること人生でそうそうないよ?
…なのになぜかそれを、嬉しく思いながらも、「じゃもっと甘えさせてくれても…」とか考えていた。
馬鹿か。
今日それに気付いた。
本当に馬鹿だ。
馬鹿だって気付いたのと同時に、
彼が私に好きでいることを許してくれたこと、
彼がそう言ってくれたおかげで私が幸せでいられること、
いろんなことにたいしてありがとうといいたくなった。
今の心の平穏は、ロキが私に自信をくれたからだ。
もしまた会えるなら、いくら先になろうと、当分の事なら耐える。
依存はしない。
互いにそれは望む形じゃないから。
それにしてもいつも私はロキにfixしてもらうばかりだ。
自力で内面を磨かなきゃ。
ロキに依存しだした自分。
違う、私が依存したいんじゃない。
互いに夢を追いたい。
夢を追う姿が見たい。
そのはず。
まず私ががんばらなきゃ。
私自身の夢のために。
☆★☆
ジョン・コービーのように人に接したい。
愛するものに素直でありたい。
命にまっすぐでありたい。
グリーンマイルをみて、祈るひと、信じるひとの姿はなんてまっすぐなのだろう、純粋なんだろう、と思った。
日本にいると宗教そのものに偏見をもちそうだけど
人間の精神活動の原点にすでに祈りがあったことを考えれば
自身の信じる神に祈ることが異端と見られるのは不思議なことだと思う。
…講義で、間主観性だとか、ヘゲモニー装置だとかをやったけど、 きっと、宗教も、「自分の信じる神は他人と同じものだろう」と、それがが当たり前だと思う間主観性と、そう思いなさいと言う周囲のヘゲモニー装置がはたらいた結果教徒があつまった集団にすぎないんだろうな。
…恋愛書いてるブログに書く話題じゃないかもしれないが…。
祈る気持ちも、無神論を唱える人の気持ちも、その人にとっての真実に変わりはないと思う。
だから、できるかぎり、ひとりひとりの心を見られるようになりたいと思う。