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ねえ それ 何の血?

自己嫌悪。



俺はここで何をしてるのだろうか。
みんなそれぞれに一歩を踏み出して、自分なりの答えを探し始めてる、し、多分俺もその一人なのは極力は疑いたくない。



…ほんとに??



予備校での生活を頑張り、少々五月病にかかりつつも自分のしたいことを考え、学部まで変えようとしている。



頑張ってるじゃないか。





ほんとに??



俺のしたいことって何だろうか。研究??うん、間違いじゃない。勉強??うん、それも間違いじゃない。遊びたい??もちろんそれも間違いじゃない。

そろそろ意地を張るのを止めようか。



音を出したい。

圧倒的な存在感で、誰かたった一人でもいいから、誰かに響いてもらうために。

音を出したい。



多分、だから今はあの子ではなく翠さんに会いたい。会いたくて仕方ない。彼女に、会いたい。

大丈夫だと慰めてほしい。
焦ることはないと優しく。
一緒に頑張ろうと笑顔で。







音楽、芸術。

本質的にそれは優劣が付けられるものではない、のだが。
同期の友人のバンドが、自分達のバンドよりもオーディエンスを賑わせてるのを見たら、俺は圧倒的な劣等感に苛まれて、へこんで、途端に前が見えなくなる。





嗚呼、嫌なやつ。





たとえ何人かが[良かったよ]と言ってくれても、それは払拭されず、むしろ膨らんでいく。







本質的に芸術は優劣が付けられるものではない。

では、ピカソやムンク、ダ・ヴィンチはどうだろう。
何故彼らの絵は、芸術的評価を得ているのだろうか。

では、BUMP OF CHICKEN、EXILE、KARAはどうだろう。
何故彼らの曲やパフォーマンスは良いものとして扱われるのだろうか。





正直なところ、わからない。
俺はピカソやムンクの絵の良さがわからないし、EXILEやKARAの曲の良さがわからない。

俺が異常なのかもしれないし、世界が異常なのかもしれないし、はたまた、異常なものはないかもしれない。







何故こんな禅問答を始めたかと言うと、結局、芸術にも優劣はあるんですよ。社会的には、一般的には。



評価を受けれないものは、駄目なものとして扱われて、廃れていくしかない。
だからこそ、言葉を大事にしたい。
自分の好きなものや、良いと思うものを声に出したい。





彼らに[良かったよ]と、伝えたい。


それだけ。
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