取り残された私は、取り残される人たちに文章を遺す。
『冷たい熱帯魚』をみた。私は「きれいだ」とただただうっとり。なにかを奪われた跡に、なにかを移植されたみたい。
「記憶の国の王女」。私が大学1年の時に書いたものと世界が一緒。久しぶりに再会できてしみじみ。
上記の本もそうだが、最近会社宛に購入した本が届くようにしている。ちょっと派手なニットを毎日羽織っているのも、珈琲やハーブティーを自前のコップて飲んでいるのも、本を送っているのも、「いまある風景から逃げたい」サイン。
誰も読みとってはくれない、孤独の闘い。
そう、私は風前の灯
率直に書くと、僕はとてつもなく死にたい。
それはネガティブな感情では、決してない。ただただ死にたい。
「生きてりゃ楽しいことがある」「死ぬだなんて失礼だ」
そういう次元じゃない。無の状態であっても死んでいたい。そういう時は誰にでもあるですって?一緒にしないでほしい。
身勝手なくだらない文章かもしれない。でも、わたしたちは本当は身勝手で、くだらない。いつからだろう。脚色や嘘を覚えたのは。
キレイゴトもザレゴトもない。あるのは自分の言葉だけ。
だから貪るほどに、自分を愛しなさい。自惚れなさい。そうして、痛みを知り、自分を知るのです。
だから、もうくだらないものは選別して廃棄して。ライムジュースがあなたの喉を毒す前に。
終わらないレクイエムを口ずさみ、消えない愛を虚空で抱きしめて。
手のひらに残る、足音と吐息。
いつまでも見つめていたら、きっと眠ることができる。
嗚呼。絶対零度。
私を、焦がさないで。
仰ぐ。叫ぶ。泣いてみる。
信じても捨てられる。だからといって嘘をついていい理由にはならない。
もう時効だと思うので、少し告白をしておく。
快楽。そして、嘘と少量の狂気。そのあたりを配合したのが当時の私。
つなぎ止めるために取り繕い、口からは嘘と綺麗な言葉ばかり。
結局、事実だけに満足し、浸り、本質など興味すらなかった。
まだ続くのかの確認をする日々。
そんな日々なんて、真っ黒な偽りでしかない。
最初に止めていたら。そう悔もうとするのは表向きの顔。
あとは墓場まで。
個人個人には独自の世界がある。
僕はもう、その世界にはいない。いたくもないし、いてはいけない。なにより、もう取り繕うのは疲れたから。
またどこかで…といったうっすら存在しているような気配、匂いすら残したくない。
透明になる。そんなとききっと光は私を貫通していくだろう。
さようなら1つの私。
12/4