記憶@ (エイラーニャ)

水平線に太陽が姿を現す、夜の静寂から世界を呼び覚まさんとする様に、白い陽光が幾筋も陸を走り、海面を煌めかせる。
夜間哨戒から帰投したサーニャ・V・リトヴャク中尉は、フワフワとした自身のグレイの髪が海風に撫でられるのを心地好く感じながら、襲い来る眠気で重くなる瞼を擦って滑走路の先端へと舞い降りる。
「…ぁ」
格納庫の入口に出来の良いマネキンが一体、此方を見る様に置かれていた。
「サーニャ!」
マネキン…ではなく。そこに佇んでいた少女は、滑走路に降りて来たサーニャに気が付くと、大きく手を振りながら「お帰り」と言ってサーニャの近くまで走り寄って来た。
彼女にしてはちょっと珍しい程の、笑顔でサーニャを出迎える。
その様子にサーニャは、なぜこんな時間に、こんな所に居るの?とか聞くのを忘れた。
代わりに、あまりにも嬉しそうな彼女の態度に、自分が帰ってきたのが嬉しいと言われている気がして、くすぐったい思いが込み上げる。
サーニャは僅かに頬を染めて、はにかむように笑った。
「ただいま、エイラ」
エイラと呼ばれたその少女の金を内包する銀髪が、サーニャのストライカーユニットから生み出された風に煽られ翻る。
しかし、少女は乱れた髪も何も気にした風はなく、サーニャの後に続いて格納庫へと入った。
サーニャよりも背の高いその少女は、エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。サーニャとは同じ北欧の出身でサーニャの故郷オラーシャの小さな隣国、スオムスが故郷。

「エイラ、早いのね。ちゃんと寝たの?」
「ついさっき起きた所でサ、ちょっと散歩にナ〜」
エイラはサーニャの武器、フリーガーハマーを受け取って収納を手伝う。
『通称、「空飛ぶ鉄槌」。9連射ロケット砲。同じ501部隊のカールスラント出身のエーリカ・ハルトマン。確か、アイツの妹のウルスラが原型を考案したとか前にサーニャから聞いた様な気がするナ。』
エイラは魔力を解放して、サーニャから受け取ったフリーガーハマーを台座に降ろす。がこぉぉん、と音を響かせフリーガーハマーを載せた台座が、サーニャのストライカー発進ユニットの横に収納されていく。『魔力を解放していても結構重いんダナ。』
サーニャは夜間哨戒を一人で行う事が多い。その為、一人でネウロイと交戦になった場合にはフリーガーハマーによる爆発的な攻撃力が必要不可欠になる。
『夜の真っ暗な世界で、只でさえ心細いだろうナ…』
エイラは毎晩、自室の窓から空を見上げていた。魔導針の翠色の輝きを伴ったストライカーが夜空に舞い上がり、真っ黒な雲海に消えて行くのを祈るように見つめる。
『どうかサーニャが怖い目に会いませんように、どうかサーニャが無事で帰ってきますように。』

エイラは大抵はサーニャの帰りを眠りながら部屋で待つ、すると夜間哨戒から帰投したサーニャが大概寝惚けて部屋を間違え、エイラの部屋のベッドに倒れ込む。エイラは毎回ベッドの不自然な揺れに驚かされて起きるのだが、それでいいとエイラは思う。
サーニャにとって、わたしの側が安心できる場所だと暗に示されている気がして、素直に嬉しかった。

でも、今朝は妙な胸騒ぎがしてサーニャが帰投する予定時刻よりも大分早く目覚めた。ざわざわするような予感に急かされて、身支度もそこそこに部屋を飛び出す。
真っ直ぐ格納庫に向かい滑走路へと出ると、ナイフの様に冷たい風がエイラの白い頬を切りつける。
まだ頭も出さない太陽の、頼りない明るさしかない空に、魔力を解放して眼を凝らす。使い魔である黒狐の力を借りて、強化した視力でも、あの子の黒い機体は捉えられない。
エイラは魔力を収めると、格納庫の扉に肩を預けて寄り掛かった。自分の身体を抱くように腕を組んで、あの子の帰りをここで待つ事に決めて。
『サーニャが帰って来て、わたしがこんな所に居たら驚くカナ。』
エイラは胸騒ぎを押さえるように、着てきた青いパーカーの胸元を右手で掴んだ。

『きっと悪いことなんて起こらナイ、こういう時は明るい事を考えヨウ。』
夜明けの冷たい海風に吹かれて、少し冷静さを取り戻したエイラは、サーニャが帰って来たときにサーニャに問われるであろう、自分がここに居る理由を考え始めた。
『「嫌な予感がしたんダ。」っていうのはダメだナ。余計な不安を与えちゃうだろうし、サーニャを心配して待っていたのがばればれダナ。』
『少しだけ早く起きちゃったから散歩していた事にしヨウ。』
エイラはあくまでも、たまたま自分が此処に来た時、サーニャがたまたま帰ってきたのだとサーニャに伝えたかったのだ。
『サーニャのことが心配でずっと待ってたなんて、何だか押し付けがましいシ…それに、恥ずかしいじゃナイカ!』


やがて、エイラの悪い予感は外れる。日の出を連れてサーニャは帰ってきた。サーニャの無事を確認できた安堵感で、忘れていた眠気がどろっとエイラを襲った。が、ここで眠る訳にはいかない。サーニャから見えないように、自分の腿をつねって気を引き締める。
まずは、サーニャに笑顔で「お帰り」を言いたい。
サーニャはやっぱり驚いた様に、走り寄るわたしを見ていたけれど、いつもの様に少しはにかんで笑ってくれた。
わたしはサーニャの笑顔を見れたことが嬉しくて、ついさっきまでの不安な気持ちは何処かへ行ってしまった。

ストライカーを脱ぎ、発進ユニットから降りるサーニャに、エイラは右手を差し出した。
サーニャの左手が、遠慮がちにエイラ掌と重なる。
その手の冷たさに、「ついさっき」起きたのだとエイラは言ってはいたけれど。実はずいぶん長い時間、あの場所で自分の帰りを待って居てくれたのではないかと、サーニャは思った。
只でさえ、まだ寒い日も多い、この季節。
この人は、わたしを待って居てくれたのだろうか…?
こんなに冷えてしまうまで、何のために?
「サーニャ?」
思考に沈みかけた意識が呼び戻される。
「え?」
エイラが赤い顔をして、困った様に頬を掻いている。
「えっト、手…」
「え…、あ」
わたしはいつの間にか両手で捕まえてしまっていた、エイラの右手を慌てて離す。

「ごめんね…」

『大丈夫かな、エイラ。風邪引かないかな…?』

「いや、その…気にスンナ」

『どうしたんダロ、サーニャ。寂しいのカナ…?』

二人はお互いに、相手を思いやって。
でもお互いに口には出せずに、微妙な沈黙が降りる。
「………。」
「………。」
先に沈黙を破ったのは、やはりエイラだった。
「へ、部屋に帰るゾ!」
「…うん」
背中を向けて歩き出したエイラから、サーニャも半歩遅れて歩き出す。
格納庫を出て、薄暗い灯りしかない通路を宿舎に向かって進んで行く。
サーニャからエイラの顔は見えなかったが、エイラは少し赤い顔をして歩いていた。
エイラは意を決して、自分の後ろを歩くサーニャに左手を寄せる。
「?」
「……」
「エイラ?」
何も言わないエイラの背中と、目の前の差し出された様なエイラの左手を、サーニャは交互に見つめた。
「…」
「…」
不自然に左手を後ろの方へ浮かせたまま、エイラは変わらず歩き続けている。

繋いでも、いいのカナ…?

そぅっと、右手の指先でエイラの左手に触れる。
ぴくっと返された反応に、怖じ気づいて手を離そうとすると、指先が離れる前にエイラの掌に包まれた。
エイラは相変わらず前を向いたままで、何も言わないけれど。
きっとエイラは、こうしてわたしを受け入れることで「大丈夫ダ」とか、「側にいるカラ」とか。そういった気持ちを伝えようとしてくれているのだ。

エイラは優しいから…。

誰に対しても優しいから。気を付けないと、自分がエイラにとって特別な存在だと、自惚れてしまいそうになる。

いつの間にか、エイラの部屋の前まで来ていた。
寝惚けていないわたしは、隣の自分の部屋に行かなくちゃ。
今日はちゃんと、一人で眠らないと。
…エイラの手を離さなくちゃ。
「サ、サーニャ。その…、わたしの部屋に来ないカ?」
…ほら、そんな風に。
エイラ、未来予知じゃなくてテレパシーが使えるの?
まだ「うん」とも答えていないのに、エイラはわたしの手を引いて、エイラの部屋に入る。
「取り敢えず、眠ろう。サーニャ」
二人の手はもう離れてしまったけれど、サーニャは嬉しかった。
エイラが今日も変わらず、一緒に居てくれるから。
「サーニャ、服はちゃんと畳むんだゾ」
「うん」

二人がベッドに転がってから半刻ほどして、基地に起床のラッパが響く。
エイラとサーニャはお互いを暖めるように、寄り添って眠っている。

このあと起きる事件など、まるで関係ないように。
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夜明けの侵入者@

サーニャイラ?A

10分前 午後7時50分

「え〜、ト。こっ、こーゆーのは…ソノ〜…」
「………。」
しどろもどろのエイラに、じっとエイラの答えを待つサーニャ。黒い長い尻尾が、エイラの脛の辺りで左右にゆっくりと揺れていた。
「…サーニャが…あれダナ。」
「…わたしが?」
「うん。サーニャが…あれダ、アノ〜」
「エイラ?…わたしが、何?」
頭を掻いたり、歯切れの悪いエイラにサーニャが先を促す。
「えっと…サーニャがだナ…」
「…うん」
「す、すす、すっ」
「す?」
「サーニャがすっ!好きな人としなくちゃっ…駄目な…ん、ダ…」
尻すぼみになったエイラの言葉でも、いつもより距離が近いサーニャの耳にはしっかりと届く。
エイラは居たたまれない思いで俯いた。

スキナヒト…、スキナヒト…、サーニャの…?

そうだヨ、さっきみたいな事はちゃんと好きな人と…。
一瞬、サーニャが自分の知らない誰かに『さっきみたいな事』をしている場面を想像して、エイラは動揺する。
サーニャの視線から逃れるように、思わず両手で顔を覆う。
「エイラ?どうしたの?」エイラの返答はない。
「エイラ?」
エイラの身体から震えを感じて、サーニャは心配そうにエイラを呼ぶ。
「…泣いてるの?エイラ」
泣いてないヨ、と言いたかったけど。
「サー…ニャ…ッ」
やっと言えた言葉はそれだけで、
「泣かないで…ごめんね、エイラ。」
サーニャは悪くないのに「ごめんね、エイラ」と繰り返すサーニャに何も答えられない。

サーニャの…スキナヒト。

思い付きだったけど、正しかった自分の言葉に、何故か衝撃を受けて立ち直れない。
「エイラ…ごめんね、泣かないで」
違うんだサーニャ、泣いてないヨ。謝らないでいいんだ、サーニャは悪くない。
悪いのは…、わたしなんだ。

さっき…、突然のサーニャの行為。驚いたけど…サーニャに押し倒された時点で未来が視えてた。これから何が起きるのか、わたしには予知できていたんダ。
「っ…!」
止めさせるならもっと早くに止めさせられタ…。
わたしはサーニャを止める理由を探す振りをして、サーニャのする事を受け入れてもいい理由を必死に探していたんダ。
制服越しに擦り付けられたサーニャの体温、拙い仕草で額に耳に触れたサーニャの唇。首筋をさ迷う小さな舌、サーニャから香るサーニャの匂いに。わたしは抑えの利かないものが自分の内側から沸き上がってくるのを感じた。


…サーニャはどうして急にあんな事をしたんだろう…。

あの行為は親友とはいえスキンシップの度を越えたものだったとエイラは思う。
わたしがリーネやミヤフジにするみたいなじゃれあいで胸に触るとか、そういう類いの物ではないというか…。
…ともかく部屋に来たのが他の奴じゃなくて良かった。段々と落ち着きを取り戻してきたエイラは、そこまで考えて、ゆっくり息を吐き出した。
「エイラ…?」
サーニャの呼ぶ声に自分の顔を覆っていた両手を下ろす。
服の袖でゴシッと顔を拭うと笑顔を作って顔を上げた。
サーニャの瞳が心配そうに揺れている。
「急に泣いたりしてサ、ごめんナ。」
「…」
「ほら、サーニャ。とりあえず立とう」
エイラはサーニャを促して立ち上がらせると、自分も服を払って立ち上がる。
「部屋に入ってもいいカ?サーニャ」
「…」
「サーニャ?」
サーニャは何事か腑に落ちない様子でエイラを見ていたが、やがて小さく頷いた。

午後8時00分

エイラの様子が、変…。
「エイラ、どうしたの?」
今夜の夜間哨戒は芳佳ちゃん、リーネさんとクロステルマンさん。引率にバルクホルン大尉も飛んでいる。
だから、わたしは今夜の哨戒はお休みで。明日の朝は久しぶりにエイラや他のみんなと一緒に、午前の訓練に参加することになっているから…。
「いつも私の部屋だから、今日はサーニャの部屋で過ごさないカ?」
貴女がそう言ったのに…。
やっぱり。さっきわたしがエイラにしたことで、エイラを怒らせてしまったんだろうか…。

エイラは部屋に入ってからベッドの上でカードを広げて、ずっと何か占っている。
自身が一番得意だと言うタロットカード。ペラッと捲っては何かブツブツと呟く。
わたしもベッドに上り、枕側の柵に凭れて占いの様子を見ていた。

「…ねぇ、エイラ」
「ん〜、なんダ?サーニャ」
エイラはカードを一枚捲って、良くない結果なのか眉間に皺を寄せた。
「…こっち見て、エイラ」
「あ、あぁ。うん」
サーニャの言葉に渋々と言った様子でエイラはカードを纏めると、腹這いから座り直してサーニャを見た。
「占い、止めなくても良かったのよ?」
「あぁ…うん。」
エイラは「もういいんダ」と呟くように言って胡座をかいた。組んだ足首を自分で掴むようにして、身体を小さく前後に揺らす。
「…エイラ、さっきの事。怒ってるの?」
エイラの揺れが止まる。
サーニャはエイラがくれたお気に入りの枕を抱き締めている腕に力を込めた。
エイラとサーニャの視線がぶつかるが、エイラが直ぐに反らす。
「怒ってなんカ「嘘!」
エイラが言い切る前に、サーニャがエイラの言葉を遮る。
サーニャの言葉の強さに驚いて、エイラは漸くサーニャの眼を正面で見つめた。
サーニャは興奮しているのか顔を紅潮させて唇を僅かに震わせている。
「サ、サーニャ。」
「怒って無いなんて嘘よ!…エイラ、さっきから少しもわたしの事を見てくれない!」
サーニャの瞳が潤み出す。あ、泣く。と、エイラは思ったがサーニャのめったに見せない激しい感情に圧倒されて動けない。
「さっきから少しもお話してくれない!」
ボロッと溢れ出した涙はサーニャの白い頬を伝って、サーニャが抱えている枕に次々と染み込んだ。
「サーニャ、ちょっと落ち着@▲☆!
ボフッ
エイラ、人生で二回目となる枕被弾。至近距離からの着弾に使い魔の尻尾と耳が飛び出る。
黒い枕がエイラの顔でバウンド、放物線を描いて部屋の何処かへ飛んでいった。
「あんな答えじゃ解らないわ!」
「なにを言って
「エイラの馬鹿!!」
エイラは枕が直撃した鼻を手で押さえながら、サーニャを宥めようと試みるが、今のサーニャには逆効果だった。
「嫌なら嫌ってちゃんと言って!」
「な、何を…」
サーニャはベッドに両手を付いて立ち上がる、握り締めた小さな拳が震えていた。
「エイラはいつも他の人には触るのに、わたしに触ってくれないもの!」
「さ、触るって…え?」
「わたしが嫌いだからなの!?だからエイラに触るのもダメなの!?」
サーニャは固まっているエイラを見下ろしたまま、エイラはボロボロと涙を流すサーニャを見上げたまま。
「わたし…わたしはっ!」
サーニャがベッドに膝をつく、エイラの頬をサーニャの両手が包み込む。
「わたしは、エイラがいいの」
サーニャは熱くなった瞼を閉じてエイラの唇に自分の唇を触れさせた。

一瞬の出来事だった。
二人の唇が重なっていた時間も、サーニャが部屋を飛び出したのも。
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サーニャイラ?@15禁注意

エイラの様子が、変…。
「エイラ、どうしたの?」
今夜の夜間哨戒は芳佳ちゃん、リーネさんとクロステルマンさん。引率にバルクホルン大尉も飛んでいる。
だから、わたしは今夜の哨戒はお休みで。明日の朝は久しぶりにエイラや他のみんなと一緒に、午前の訓練に参加することになっているから…。
「いつも私の部屋だから、今日はサーニャの部屋で過ごさないカ?」
貴女がそう言ったのに…。

2時間前、午後6時。

夕食が終わった食堂には、ハルトマンさんとシャーリーさん、シャーリーさんの膝で猫の様に眠るルッキーニさん。あと、エイラとわたし。
シャーリーさんとハルトマンさんが、何かこそこそと話していて、「キシシ」と何かしら企んでいそうな声が聞こえる。そうだ、今夜は面倒見役のバルクホルン大尉が、芳佳ちゃんたちと夜間哨戒に出ているから居ないんだ。
きっといたずら好きのハルトマンさんと、面白いことが好きなシャーリーさんは、バルクホルン大尉の留守中に何かするつもりなのかも。
「サーニャ。眠いのカ?」2人の様子をぼぅと見ていたわたしに、横に座るエイラが心配そうに声を掛けてくれた。
エイラはいつも優しい。
「疲れてないカ?」
エイラの声は抑揚のない独特のスオムス訛り。「うん。大丈夫」
「そっカ。何かあったらちゃんと言うんだゾ」
「うん」
わたしと話すとき、エイラは少しだけ顔を近づける。わたしの声が小さいから、そうやって頭を近づけて、わたしの声を聞き漏らさないように。
エイラは優しさを押し付けたりしない、まるで当たり前の様に優しさで包んでくれる。
わたしはいつもエイラに守ってもらっていた。エイラに手を引いてもらって、エイラの背中に隠れて。
それでもエイラは嫌な顔なんてしない。見返りを求めたこともない。
わたしにはエイラに返せるものがない。

1時間20分前 午後6時40分

「サーニャ?」
エイラはわたしの顔を覗き込んで心配そうな顔をする。エイラの事を考えて思考に沈んでいたわたしはエイラの声にはっと顔を上げる。
「やっぱり疲れてるんじゃないのカ?」
わたしの頭をエイラの掌が優しく撫でる。
「部屋に戻るカ?」
「…うん。」
そうカ、じゃあと立ち上がりかけたエイラの制服の袖を引く。
「エ?」
「…一人で戻れるわ。エイラ」
一瞬きょとんとして、すぐに慌てたように「で、でも」とエイラは口ごもる。
わたしを心配してくれるのは嬉しい。でも、
「エイラ。みんなともお話したいでしょう?部屋で待っているから、ゆっくりしてきて」
「サ、サーニャ」
「ね?」
わたしは笑顔でエイラにお願いした。
本当はわたしの側にいて欲しい、だけどエイラまでみんなから孤立することになってしまうのは駄目。
…わたしは上手く笑えただろうか。
「う〜、分かっタ。サーニャがそう言うなラ」
渋々と言った感じで承諾したエイラは、それでも食堂の扉まで見送ると言って付いてきて、そこから私が見えなくなるまで「階段は気を付けろヨ〜」とか「間違えて他のヤツの部屋に入っちゃダメだゾ〜」とか叫んでいた。
ちょっと恥ずかしい…。

1時間10分前 午後6時5分

エイラの声が聞こえなくなった廊下を自分の部屋に向かって進む。
「そういえば、」
ふと、食堂に現れなかった2人の左官を思い出す。
昨日から坂本少佐が珍しく風邪を引いて寝込んでいるからミーナ隊長が付きっきりで看病しているんだっけ。
行水なんてするカラだロ〜。ってエイラが言ってた…。
水浴びはちょっとやり過ぎだと思うけど、坂本少佐のあの豪快な笑い声が聞けないのは寂しいから早くよくなって欲しい。
他のみんなも心配してる。「ぁ」
考え事に集中していて自分の部屋を通りすぎるところだった。
サーニャは自分の部屋の扉を開けようと手を伸ばす、しかし隣の部屋が何故か気になって手を止める。
ドアノブに手を掛けたまま、少し迷ってから結局魔力を解放した。
サーニャの使い魔である黒猫の耳と尻尾が飛び出すと、サーニャの両側頭部に翡翠色に発光する魔導針が出現する。
「…」
サーニャは意識を集中して探す。黄色がかった銀髪の髪を、そのスレンダーな身体の背に無造作に垂らしているひと。無邪気で、そしてサーニャが一番大切に思うなひとの気配を。
「……エイラ」
食堂にいるその気配は、他のみんなの気配とじゃれあうように動いている。
「…」
サーニャは魔力を収めると自室には入らずに隣の部屋のドアノブに手を掛けた。「……ちょっとだけ」
そう誰も聞いていない言い訳をして部屋にすべり込む。パタンと背中で閉めた扉の音に「ふぅ」と小さく溜め息をつく。
勝手に入ったからと言って、部屋の主のエイラは怒ったりしない。
「き、今日だけだかんナ〜」と言って毎朝わたしが勝手に部屋に入って、エイラのベッドで眠ることを許してくれるように。
エイラの部屋は何も無いわたしの部屋と違って、物は沢山あるのにきちんと整頓されている。
眠くはないけど二段ベッドの下の段に上がって、毛布に潜り込む。
エイラの匂いがする。
…いい匂い。
毛布を頭まで被って目を閉じる。
「…エイラ」
一見、無表情に見えるエイラがわたしにくれる微笑を思い出す。
あぁ…まただ。
サーニャは、はぁ…と息をつく。
時々こうしてエイラが居ないときに部屋に侵入して、毛布にくるまることが何度かあった。
初めはエイラと一緒にいられない時間帯の寂しさを紛らわすための行為でしかなかった。
それが最近こうしていると身体に不思議な熱が生まれるのに気付いた。
胸の中に切ない感情が灯り、やがて燻り始める。
切なさをやり過ごそうとエイラの匂いに集中すると段々と身体のあちこちに言い表せない疼きが生まれる。
悪寒にも似たその感覚にサーニャは唇を噛む。
「ん…っ、は」
自分の身体を抱き締めて疼きに耐える。
「…」
わたし、おかしいのかな…?
サーニャはそれが、まだ幼い身体にも成長に連れ自然に芽生えた性の欲求だとは知らなかった。
「エイラ…」
仰向けに転がり、いつも自分を守ってくれる大切なひとの顔を思い浮かべた。
サーニャ。
いつも囁く様にしてわたしを呼ぶ声を思い出す。
「エイ、ラ…」
また身体が疼く。

50分前 午後7時10分

サーニャは心臓の音を押さえようと胸に手を当てる。
「ぁ…?」
一瞬自分の手が胸の先端を掠めた。弱い電気のような刺激が生まれる。
なにいまの…?
サーニャは左手でもう一度胸に触れてみる。
「…っ」
先端を掌で撫でると再び弱い刺激がサーニャを襲う。「んぁ……!」
自分の口から漏れた声に驚いて慌てて両手で口を塞ぐ、かっと頭に血が上る。毛布に包まれたままベッドの上にのろのろと起き上がりサーニャは自己嫌悪に落ちた。
わたしは一体なにをしているんだろう…

30分前 午後7時30分

サーニャは自室に戻って一人では広すぎるベッドに倒れ込む。
先ほどの自分の行為と身体の感覚がふと甦る。
「っ…」
ベッドの上を転がって俯せになる。目の前にきたシーツを握りしめる。
「…エイラ」
コンコン「サーニャ?」
自分の呟きによって召喚されたようなタイミングにがばっと起き上がる。
エイラ!
転がるようにベッドから下りて扉に走った、速くと思う一心で耳と尻尾が飛び出る。エイラが扉を開けたのとわたしがエイラの胸に飛び付いたのは殆ど同時で。
「え!?わあぁっ」
エイラはわたしを抱き止めると勢いで後ろに尻餅を付いた。
「痛たタ。サ、サーニャ!どうしたんダ?」
「゛〜〜〜っ」
わたしは自分のモヤモヤした気持ちをエイラなら何とかしてくれるような気がした。
エイラの服を両手で掴んで鎖骨の辺りに額をグリグリ擦り付ける。
エイラは何がなんだか分からないといった風で、しかしサーニャを抱き締めることも引き剥がすこともできずにただ両腕を不自然な形で浮かせたまま固まっていた。
サーニャはエイラの首に鼻先を埋めるようにして動かない。エイラの視界にはサーニャのふわふわのグレーの髪とそこから覗く黒い三角の耳。それからサーニャの後ろにヤケに艶のいい尻尾が忙しなく揺れているのが見えていた。
猫って確か、不機嫌なときに尻尾を振るんだよナ。
「ササーニャ?怖い夢でも見たのカ?」
サーニャの両肩を優しく掴んで、声を掛けながら顔を覗こうとするとサーニャは嫌々をするように頭を振ってエイラの鎖骨から首筋まで擦り上がる。
「わ、サーニャッちょ!」エイラはサーニャに押されて腰から下がサーニャの部屋に、腰から上が廊下にある状態で押し倒されてしまった。
サーニャはのそりと起き上がり、エイラの上でマウントポジション。

20分前 午後7時40分

「あの、サーニャさん?」エイラはいつもと様子の違うサーニャをなるべく刺激しないように話掛ける。
俯いているサーニャの顔は影っていて、その表情を見ることが出来ない。
慌てるエイラとは対照的にサーニャは自分の気持ちがが急速に落ち着いていく気がしていた。
「どこか痛いのカ?」
何も言わないわたしに痺れを切らす訳でもなく、いろいろと先回りして答えを考えてくれるエイラ。
いつも優しいエイラ。
わたしがさっきエイラのベッドで何をしていたのかなんて知らないエイラ。
「ゆ、床が冷たいからおきたいナ〜…?」
わたしの下で何か言ってるエイラの胸に再び擦り寄る、。
温かい…いい匂い…。
顔をぐりっと柔らかい膨らみに押し付けると、ビクッとエイラが緊張したのが解る。
緊張?痛かった?
顔を上げてエイラを見る。エイラは顔を真っ赤にさせて困ったような泣きそうな顔でわたしをみていた。
「サーニャ」
弱りきった声がわたしを呼ぶ。
わたしはエイラの顔の両側に肘をついてエイラの頭を抱えた。
「サ、サーニャ…!」
エイラの額にかかる前髪を指先で払って唇を押し当てる。それからエイラの頬とわたしの頬とを合わせて髪から覗くエイラの耳を見つけると、額にしたように耳朶に唇を押し当てた。
「サ…ニャ、や…めっ」
エイラが横を向いた。わたしの目にエイラの白い首筋と、薄い皮膚の下で動脈が脈打つ光景が飛び込んだ。誘われるように動脈のうえにも口付ける。
「ひっ」
エイラが短く悲鳴をあげたが行為に夢中のサーニャには響かない。
エイラの匂い。安心する。サーニャは舌先を少しだして、エイラの首筋をチロチロと舐め始めた。
「ぅ…あ」
エイラが呻いて身じろぐのを身体を押し付けて押さえ込む。
「だめ…や、てクレ…っ」耳の裏から首筋を降りて、服の襟を渡り喉もとから顎を舐めあげる。
エイラの顎を甘噛みして、そのさきの瑞々しい薄いピンク色をしたエイラの唇を求める。
「サーニャ!!」
あと少しで唇に触れられそうなところで、突然肩を捕まれ押し返された。
「エイラ」
「駄目だ、サーニャ。そんなことしちゃ」
エイラは相変わらず真っ赤な顔で、しかししっかりとした口調で言った。
サーニャは起き上がったエイラの太股辺りに跨がったまま、肩を掴まれきょとんとしている。
「どうして?」
「え」
「どうして駄目なの?」
「ど、どうしてって言われても」
サーニャはただ疑問に思ったことを親に尋ねる子供のような表情でエイラの答えを待った。
エイラは困惑した。

10分前 午後7時50分
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ユラメク (エイラーニャ)

かちゃり…、ぺたぺた…、しゅる…、ぺたぺた…、トサッ。
「ぅ…ん」
エイラは右手に柔らかな感触を感じて、ふと目を覚ました。うっすらと目を開けると二段ベッドの上の段が見えた。少し右の方に視線を移す。天井にカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
右手には相変わらず柔らかい感触がある。
…ネコペンギン?こんなとこ置いたっケ…
エイラは朝日の具合からまだ起床までに時間があるとみて再び瞼を下ろした。
右手に触れるネコペンギンが気になって、この不細工人形をベッドから追い出そうと右手で押しやる。
「ん」
ん、じゃねーヨ。不細工な癖に可愛い声出すなよナ〜……。声?
ガバッ!!
勢いよく上半身を起こしたエイラはその勢いで使い魔の耳と尻尾が飛び出たことは気にせずに、そ〜っと自分の横を確認する。
「☆▲@#↑!」
思わず上げそうになった声を自らの両手で塞いで耐える。使い魔が出現したおかげでエイラは先読みの能力が発動していた。数秒先の未来で穏やかに眠る少女。何故か、起こしてはいけないと咄嗟に悲鳴を我慢したのだ。
しかし、暫し呆然。
な、何がどうなってるんダ?
必死に落ち着きを取り戻そうと深呼吸しようとして、まだ自分で口を塞いでいたことに気づく。
と、とにかく!
深呼吸で少し落ち着いてきたエイラは状況の理解に努めた。
まず辺りを確認する。
うん、ワタシの部屋だナ。
占いの道具に床の魔方陣、呪われていそうな怪しげなグッズの数々を見回して、エイラはホッとする。
どうやら寝惚けて違う部屋で寝てしまったわけではないようだ。という事は、寝ぼけられたのが私の方なのカ…?
こいつって確か、ナイトウィッチの…え〜っと…
エイラは隣で眠る少女をまじまじと見た。
肩の辺り迄のフワフワのグレイの髪、華奢な肩、薄暗い部屋でも光るような白い肌。
かわいいナ…。
相手が寝ているのを良いことに、品定めするような視線を少女の身体に巡らしていたエイラは、何気無く右手の項で少女の頬にそぅと触れた。
ふに。
温かい。
「…ん」
ヤベ。
エイラは少女の頬に触れさせた手を急いで引っ込める。
少女が薄っすらと瞼をひらいたから。
ど、どうすル?
いきなり知らないヤツが居たら驚かせちゃうんじゃないカ?あっ、でも一応わたしの部屋だし!驚いたのはわたしの方で!勝手に触ったの気づかれたかナ?
エイラは結局タオルケットを握り締めたまま動けずに何だか緊張して固まっていた。
「……。」
少女はボンヤリとした様子で、俯せのままゆっくりと目線だけ動かしてエイラを見た。
「ぁ…」
声を漏らしたのはエイラの方で、少女は寝惚けているのか緩慢とした動作で右手をエイラの方へ動かした。
ベッドを滑るように自分に向かって伸ばされた手を、戸惑いもなく握った自分にエイラは驚いた。
まるで、そうすることが当たり前の様な感覚だった。初めて触れた、名前も覚えていないようなこの少女の少し低い体温は直ぐにエイラ自身の体温と馴染んで。
「……。」
何か言おうと開いた唇からは溜め息の様な空気が出ただけで、エイラは繋いだ手の向こうに見える翡翠の瞳が安心したように再び閉じられるのをただ見ていた。
「……眠った、のカ?」
何故かゴクリと喉を鳴らし、やっと絞り出した言葉に夢の世界の住人となった少女からの返事は無い。
ただ繋がったままの少女の右手と自分の右手が、お互いの存在を伝え合う唯一で確かな物に思われた。
なんだヨ…
エイラは思う。
人のベッドで勝手に寝てたり…、起きたら起きたで……。
エイラは繋いでいた右手をそっと離してベッドに置いてやる。それから自分も横になってタオルケットを半分、少女にかけてやった。

基地に起床のラッパが鳴り響き501の隊員たちも各々に活動を始めるなか、エイラも朝のざわめきに誘われて目を覚ます。
眠い…。
エイラは重い蓋を何とか抉じ開けてベッドに身体を起こした。普段は寝覚めのいいエイラだったが昨夜の事件?により、少々寝不足だった。
「……。やっぱ夢じゃなかったのカ。」
独特のスオムス訛りの呟きは、隣で猫の様に丸まって眠る昨夜の侵入者である少女に向かって落とされた。
エイラは自分の右手を顔の前に持っていく。
昨夜の事、コイツは覚えているだろうカ。
だいぶ寝惚けていたみたいだから、覚えてないかもナ…。
そう思うと良かったような、残念なような…ん?
残念てなんダ!
べ別に、昨夜の事なんて覚えていようが覚えてなかろうが!
昨夜の…
エイラは少女と手を触れ合わせた感覚を思い出す。
掴んだ少女の手は冷たくて、細い指は絡めれば折れてしまいそうで。繋いだ右手の人差し指でその細い指をなぞれば、戸惑うように動いたから。離そうとすると少女の白い中指と人差し指が、わたしの指先にすがるように絡んできた。
エイラは胸の奥が締め付けられる気がした。
翳していた右手で眠る少女の前髪についた寝癖をすく。
ヒョコヒョコと毛流れに逆らって跳ねる寝癖を、毛束に戻すように何度か撫で付けてやる。
「ぅ…ん」
起きるかナ?
エイラは少し無遠慮になっていた手を止める。
少女はエイラの掌に額を擦り付ける様に身じろいだだけで、起きる気配は無いようだ。
エイラはベッドを出る。
「うぇ?」
目に飛び込んだ惨状に、思わず奇妙な声を出す。
ベッドの直ぐしたには脱ぎ散らかしたオラーシャ軍の物であろう軍服が、部屋の入口から点々と落ちていたのだ。
「は〜っ」
エイラは盛大に溜め息をつくと衣服を拾い上げた。
皺を伸ばして、丁寧に畳んでやりながら呟く。
「今日だけだかんナー」


昼食の時間。
ようやく起き出してきた人物を見て、エイラはホッとした。
昨夜の(殆ど朝方だったが)、侵入者が自分が部屋を出てしまってからどうなったのか、確認できていなかったので気掛かりだったのだ。
よしよし、ちゃんと起きてきたな。
今だに夢から抜けきれないような緩慢な動きで食堂にあらわれると、聞こえるか聞こえないかの声で「おはようございます」と、先に食堂にいたメンバーに挨拶した(殆ど気付かれてないけどナ)。
危なげに空いていたわたしの隣の椅子に座ると、カクン。
「へ?」
おいおいおい。
「ど〜した?エイラ」
向かいの席からオレンジ色の髪のグラマラスな同僚が、エイラの声に疑問を返す。
「シャーリー、見てくれヨ」
わたしは隣で舟を漕いでいる人物を指差した。
「あぁ。サーニャか」
「サ、サーニャ?」
「エイラと同じ北欧のさ、オラーシャ出身のリトビャク中尉だよ。」
「ち、中尉!?」
「なんだ。しらなかったのか?」
上官…?エイラは昨夜の事件を思い出し、サッと血の気が引いた。だが、特に自分が何かしたワケでは無いことに思い当たって我に返る。
「いつもこんななのカ?」エイラは今にも頭からスープの皿に突っ込みそうな様子のサーニャの肩を慌てて支えてやる。
その様子にシャーリーは驚いたが顔には出さずにエイラの質問に答える。
「この子はナイトウィッチだから、昼間が苦手なんだろうな」
「そっか、そうだよナ。」納得したように頷いてサーニャに「おい、しっかりしろヨ〜」などと声を掛けているエイラをシャーリーは微笑まし気に見遣る。
そもそも、この独特なスオムス訛りの北欧美人は他人に興味があるようには見えなかった。少なくとも、この501部隊にエイラが来てから胸の話し以外で他人の話をするエイラをあまり見たことはない。
いや、これじゃあエイラが胸にだけは執着した変態みたいだな。
「ほら、ちゃんとスプーン持てっテ。あぁもう、口拭いてやるからこっち向けヨ」
参ったナ、だの。大変ダ、だのと言いながら何だかんだと世話を焼くエイラをからかってやりたいと思うのは、自分に流れる陽気なリベリアンの血のせいにして、
「お前、いつの間にサーニャに惚れたんだ?」
って言ってやった。
「そそそんなんじゃね―ヨッ!」
「ふ〜ん」
「ほんとだゾ!本当にそんなんじゃないからナ!」
「わかった、わかった」
ただのジョークのつもりが以外にも的を射たのか、珍しく真っ赤になって力いっぱい反論してくるエイラをどう宥めるか悩んでシャーリーは苦笑いする。

まったく、シャーリーの奴!!
エイラは結局食事の後、テーブルに突っ伏して寝てしまったサーニャを何とか揺り起こすと、肩を貸してサーニャの部屋に連れて行った。
「は、入るゾ〜」
とは言っても、部屋の主は自分に凭れて今にも夢の世界へ旅立とうとしているのだ、あくまで儀礼的に部屋の扉に声を掛ける。
カチャ…
「う…。真っ暗だナ」
エイラの部屋も色んな意味で薄暗いがサーニャの部屋はもっと暗い。ボンヤリとした小さな照明に、意図的に閉ざされた窓の暗幕。
夜間哨戒のために暗がりに目を慣らすためであろうが…
「よいしょ、と…」
窓の下のベッドにサーニャを座らせる。
「ふぅ」
何だか疲れたナ。そう思いながら自分もサーニャの横に腰掛けた。

「…しょ…、…ティ…ネン…尉。…ユーティライネン少尉。」
あ、れ。何だ?
「あの…ユーティライネン少尉?」
誰…ダ?まだ眠イ……。
エイラは聞きなれない声で目を覚ました。ゆっくりと目蓋を開くと、そこには心配そうにエイラの顔を覗き込むサーニャの顔が…、って
「近っ!」
顔の近さに驚いて、勢いよく腹筋で起き上がった。
「え、え〜と?」
寝起きの頭を必死に回転させる。
ココはどこ?
わたし、どうしてたんだっけ?
「あ」
「え?」
わたしの声にサーニャもつられたように声を出す。
「あ〜〜」
「……?」
そうか、あのままサーニャの部屋で寝ちゃったんだ。
何してんだヨ、も〜!
「えーと、ゴメン!」
「え?」
私はベッドの上に居直る(扶桑式の正座ってやつだナ)と、パンッと両手を顔のまえで合わせた。
「いや〜、昼寝でもしようかと思ったら部屋をまちがっちゃったみたいダ」
出来るだけ明るい声でそう言って呆気に取られているサーニャの脇をすり抜けベッドから降りる。
この部屋にわたしが連れて来たっていうのは、多分覚えてないナ。

「…ぁの」
「え」
今にも消え入りそうな小さな声が、部屋の扉に向かって行こうとしたエイラを呼び止めた。
「その…、昨夜は…すみませんでした…。部屋、間違えてしまって…」
そう謝罪すると、俯いてしまったサーニャにエイラは慌てて言った。
「そ、そんなこと!全然気にしてないゾ!それにほら、わたしもこうして部屋を間違えちゃったし、おあいこなんだナ!」
努めて明るく言ったつもりだったがサーニャは表情を曇らせたまま「すみません」と繰り返した。

「あ…あのサ。もし、中尉がよかったらだケド。」
「…?」
続きを言いにくそうに自分の頬を指で掻いたりしているエイラをサーニャはベッドに座ったまま見上げる。「その…、夜間哨戒大変だロ?魔法力も昼間より消費するシ…」
歯切れ悪いエイラの、言葉の意図が掴めずにサーニャは小首を傾げた。
「っ…だからサ!わたしの部屋の方がここより格納庫から近いだロ?えっと、だから…」
エイラは赤くなった顔を隠すようにサーニャに背を向けた。
「だからサ…眠かったら、時々だったら…わたしの部屋で寝てもいいからナ。」言い切ったあとで、サーニャの方を恐る恐る振り返ると、自分を見上げる視線とかち合う。サーニャは何故か真っ赤にした顔で、何か言いたげな唇を震わせたが結局何も言わずに小さくこくりと頷いた。
「鍵開けとくカラ…」
エイラはそう告げるとサーニャの部屋を後にした。
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