こんにちは。
気付けば今日はじいちゃんの命日でした。
数年前の今日も雨降りな寒い1日だったのを思い出します。
こう生きていると、生まれてくる喜びに立ち会うこともしばしば、なくなる命と向き合うこともあり…雨降りの日には亡き人を思い浮かべたりもします。
"今夜が山場を"を乗り越えたじいちゃんは、2度目の"今夜が山場を"私たちが宣告されている中、病室でバクバク夕飯を食べていました。ありゃ、こりゃまだまだ元気だ!なんて言っていた数日後に、じいちゃんは私たちが見守る中で息を引き取りました。
ばあちゃんはじいちゃんに厳しく、いつも言い合いばかり(むしろばあちゃんが一方的に文句を言う)。若い頃の鬱憤が年を取って爆発したとかで(°Д°)まぁとにかく文句ばかり言っていました。そんなばあちゃんが、じいちゃんの最期の姿を見て「私はこれで葬式までじいさんの顔を見ないから」って一言。なんで?って聞いたら「悲しくなるから」と。
毎日故人を思い出してくださいなんて言いません。こう雨降る日に、あぁあの時も雨だったなぁと故人を思い出してやってください。
この言葉はある時に耳にした言葉です。私にはこの言葉がすごく心に響いて、未だに雨降る日はあの光景を思い出します。もう20年近く経つけれど、雨の日にはふと考えたりするんです。
じいちゃん、ばあちゃんと仲良くやってる?
喧嘩してない?ばあちゃんは相変わらず、お漬け物に醤油かけてるんでしょ?それを嫌な顔して見るじいちゃんが目に浮かぶよ。とにかくさ、ばあちゃんと仲良くね。
枕元に置いてあった私があげた京都土産のタオル。嬉しかったな。じいちゃん、私も色々頑張るからね。ちゃんと見守っててよ!
なんだかんだ言ってもお婆ちゃんはお爺ちゃんを大切に思っていたんだね(*^^*)
寂しさの裏返しの強がりだったんだね
ToshI、ホントにはっちゃけてるよ^^;
でも二人とも元気な頃は、ほんと罵声に近かったです(^o^;)また都合のいいことに、ばあちゃんは耳が遠いし、じいちゃんは寡黙なタイプで肺が悪かったので言い返すのも面倒だったようです。
私も21歳の時に叔父を亡くしてから生と死を、とても意識するようになりました。なんと言うか…不謹慎ですが、今生きている時間は本当に大切で、触れられたり、笑えたり、泣いたりするのもかけがえのないものなんだなって考え方に一気に変わりました。自分の中の価値観がガラッと変わりましたね(笑)親に優しく接するようになったなぁと思ってます、本当にそれまではクソガキ過ぎて(笑)
お祖父様、素敵な方だったんですね(*´ω`*)愛情溢れるお話しに、私も叔父を思い出してじんわりしました。たまにはお墓参りに行こうかなぁ…(苦笑)
お久しぶりです♪
ほんと死を目の当たりにすると、考え方や価値観、生きるということがどれほど素晴らしいことなのかを考えさせられますよね。
毎日後悔しないように!なんて難しいってことも実感したりしながら…そういう気持ちをふと思い出すだけでも違うのかなぁと思っています。
たまのお墓参りは叔父さんも喜ぶんじゃないですかね?!(^_^)