生存確認
 ラストサマー(虎伏アンソロ寄稿用)(呪術)
 2021/2/17 03:23

『2019年7月 栃木県
討伐対象 2級3体 他3級以下多数
派遣2名 東京校2年 伏黒恵 虎杖悠仁

詳細は以下の通り』



















「うーわー…いかにもって感じだな」
「20年前に廃校になったらしい」

茹だる様な真夏の日差しの中、俺達は膝下まで伸びる雑草を踏み均しながら、人の気配がしない建物を見上げた。

20年前に廃校になった私立高校跡地に、恐らく2級と思われる呪霊が少なくとも2体確認された。
周辺地域への聞き込みから得た情報によると、廃校になる以前この高校では、部活動内でいじめに遭った男子生徒が飛び降り自殺をした事件があったのだという。
件の男子生徒はバスケ部に所属していた。バスケの強豪校だったらしいここでは、有力な選手とそれ以外への顧問の態度が大きく違っていて、それが部員へと伝播し、部全体に弱者を蔑ろにする雰囲気が拡がってしまっていたらしい。
諦めず食らい付く者もいて、諦めて部を去る者もいた。諦める勇気のないまま、ただいじめられて時を過ごした者もいた。件の男子生徒は、そんな勇気を持たないうちのひとりだった。

逃げる勇気はないのに、自ら死を選ぶ勇気はあるのか。
窓からの報告を読んで、頭に浮かんだのはそれだ。理解出来ない。死ぬぐらいなら抗えばよかったのだ。

隣でぼろぼろの校舎を見上げる虎杖を見る。
こいつも、かつては自ら死を選んだ。どうしようもない状況というのは確かに存在する。だがこいつも、抗うべきだった。…俺が、それが叶う状況を作らなければならなかった。
あれは1年前の丁度今頃。今耳を侵すのは煩いくらいの蝉の声だが、あの時は雨音だった。

頭を振って、浮かんだ考えを振り払う。過去の事は今はいい。
額の汗が、動きに合わせて流れ落ちる。暑い。蝉の声も、繁った雑草から立ち上る湿気も、そもそもこの異常な高温も、全てが不快だ。
高い詰め襟の所為で首元に熱が溜まる。襟を開けば少しは快適になるだろうか。そう思ってボタンを外してみたが、結局気温が高いのであまり変わらない気がする。
隣に立つ虎杖が、手で自分の顔を扇ぎながら俺を見た。

「………」
「何だよ」
「いや…、やっぱり伏黒も暑いんだよな」
「はぁ? 当たり前だろ。今日の最高気温何度だと思ってんだ」

今日は40度近くまで気温が上がると、今朝見た天気予報でキャスターが言っていた。今はまだ午前中だからそこまで暑くはないのだろうが、数字が幾つだろうと現時点で暑いと感じているのだ。最高気温より低いだろうから今は涼しいんだ、なんて思える訳がない。
実際、今の俺は暑さの所為で相当機嫌が悪い。涼しい室内にいる時よりきつくなっているだろう目付きで睨んでやると、虎杖は眉尻を下げた。


「そんなに暑いなら夏服着りゃいいのに」

「───……」

虎杖の剥き出しの腕から汗が垂れている。
去年は着る機会のなかった、虎杖用にカスタムされた高専の夏服。生地は薄く、袖は短く、首回りもすっきりしていて、冬服より大分涼しげだ。
夏の装いの虎杖に対して俺は、未だに冬服を着用している。
虎杖の言葉に一瞬思考が止まる。言い返したい言葉がない訳じゃない。反射で出かかったそれを喉奥で留めた。

「…行くぞ。2級が少なくとも2体で、それ以下が複数。基本的に合同で動くが分断される可能性もある。玉犬を1体オマエに付けるから、何かあったら玉犬に託せ」
「おう」

一歩進む度足に絡まる雑草が鬱陶しい。
等級が高くないとはいえどれだけ数がいるかも正確に解っていない呪霊を祓う為に、高校の全敷地をたった二人で回れとは。何時間かかるか見通しが付かない。
クソ暑い中での過酷な任務。涼しい車の中で俺達の帰りを待っているだろう伊地知さんが羨ましいと思うが、当然口には出さなかった。







低級呪霊を祓いながら広大な敷地を練り歩き、一際強い呪力を感じた場所へと向かう。
そこはやはり体育館だった。
バスケ部に所属していたという、自殺した男子生徒。その噂に集まる人々の負の念は、主にいじめの現場だっただろう体育館に集中していた。
割と早い段階から、強い力を持つ呪霊は体育館にいると推測が立った。それを相手にしている時に背後から刺されては堪らないと、先ずは校内に散る低級呪霊を蹴散らして、それから呪力の中心へ。体育館を残すほぼ全域を回った時点で、遭遇したのは3級以下ばかりだった。
体育館に、報告にあった2級が集まっている。少なくとも2体、という事は、それより多いかも知れない。1級以上の呪霊がいるが確認されていないだけ、という可能性さえある。
体育館の戸に手を掛ける。真夏だというのに、取っ手はひんやりと冷たい。

「気ぃ引き締めろよ」
「解ってる!」

全身は、学校中を駆け回った疲労と、太陽が高さを変えるのに比例して上がる気温とで、既に酷く消耗している。言ってしまえば今からがこの任務の本番だというのに、予想外の環境の過酷さに完全にペースを誤った。虎杖は全然平気そうなのに。こいつはそもそも生来の体力馬鹿だが、相棒が異常なんです俺は普通です、なんて言い訳が通る訳もない。
自分の迂闊さが腹立たしい。冷たい取っ手を心地好いと思ってしまう事が、更に苛立ちに拍車をかけた。

少しだけ戸を開け、隙間から玉犬に体育館内の匂いを嗅がせる。ふん、と鼻を鳴らして振り向き、俺と虎杖を交互に見て頷く。
間違いない。この中に2級がいる。
白が俺に、黒が虎杖に寄り添う。俺達2人と玉犬同士とがそれぞれ視線を交わし、タイミングを合わせて一気に戸を開いた。

「!」
「ははっ、でけぇな」
「なるべく固まって動くぞ」
「ああ!」

体育館の中央に、体は人間の形だが明らかに人間のサイズではないものが1体。頭と思われる部分は両手で掴めるくらいの大きさで、丸く、見覚えのある模様がある。バスケットボールの様な。
そのボール野郎に寄り掛かる様に、ムカデの様な形の、頭が前後にひとつずつ、足が4対あるものが1体。こちらも頭はボールだった。そのボール頭に幾つもの目が付いている。
バスケ部員の噂から生まれた呪霊、如何にもな姿。2体の2級はこいつらで確定だ。
こいつらを取り囲む、最早数えるのも億劫な数の3級以下。これを祓うのは然程問題ではない。玉犬に任せればいい。
問題は、2級呪霊は勿論だが、環境だ。
体育館の中は、屋外よりも余程気温が高かった。
戸は閉まっていたとはいえ、廃校になって随分人の手が入っていない。窓ガラスは割れていないものの方が少ないくらいで、決して空気が籠る様な状態ではなかった筈なのに。
呪霊の力の影響だろうか。何にせよ、人が活動するのに適した環境では絶対にない。早々に片付けないとまずい。自分の限界が解らない程無能ではない、つもりだ。

「行け!」

玉犬に指示を出し、同時に床を蹴る。虎杖が一歩で巨体との距離を詰めるのを見て、固まって動けと言ったばかりなのにと呆れた。脚力に差があるのが原因ではあるが。


「玉犬、虎杖を──」


足首に、ひやりとした感触がある。
何かに掴まれていると認識した直後、床が抜けたかの様に地面に沈む。自分の影に入り込む時の感覚に似ているが、それとは違って自由が効かない。
虎杖がボール部分を殴った巨体と、倒れる巨体の下敷きになったムカデ。視認した2級はそこにいる。
振り返って、沈む床を確認する。そこから伸びた複数の手が、俺の体の至るところを掴んでは引っ張る。それは全てが青白く冷たい手なのに、噴き出す汗が止まらない。
2級呪霊は2体ではなかった。やはり3体目がいたのだ。
ずぶずぶ沈む体と、それに巻き込まれた白。黒は虎杖の傍にいる。異常に気付いた虎杖が俺の名前を叫ぶが、それを黒が吠える事で制した。
ろくな抵抗も出来ないまま、首まで床に飲み込まれる。呪霊の領域内という訳ではないから、引きずり込まれて即死なんて事にはならないだろう。

全身が沈んで、視界が黒く塗り潰される。ほんの一瞬の後空中に放り出されたと思ったら、そこは体育館の2階部分だった。
フロアを見下ろす為の、両サイドに作られた狭い通路。手摺が錆びて所々崩れている。
フロアでは虎杖が、倒れた2級を警戒しつつ周囲を見回している。どうやら、飲み込まれて移動させられただけみたいだ。
黒がこっちに気付き、吠える。

「虎杖!」
「! 伏黒、大丈夫か!?」
「問題ない! 2級は3体だ! こっちを祓ってから合流する!」
「気を付けろよ!」

それはこっちの台詞だ。複数を任されている方が言う事じゃない。
天井から多数の手が生えている。ひとつひとつは人間と同じ大きさだが、掌から手を生やし、爪の先から指を生やし、どんどん大きさが膨らんでいく。
手のかたまり。バスケットボールらしきものは見付からない。バスケや部活動というより、いじめとその被害者を象ったものなのだろうか。

「鵺」

掌を組み、出来た影から大きな翼が飛び出す。
呪力の消費、多数の呪霊との戦闘、周辺環境の悪化。これ以上の長時間労働は命に関わる。
ここが最後の戦いだ。一気に畳み掛け、早急に終らせる。

階下から響く音で、虎杖の無事は確認出来る。俺と玉犬で2階の低級はほぼ祓えた。残すは鵺が引き付けている2級。
鵺が放つ電流で自由を奪われていく手のかたまりは、動かなくなった手を切り離しては新しい手を生やし、無理矢理自由を得てこちらへ向かって来る。他に気を散らしながら片手間に相手が出来るものではなかった。
切り離した手が床を這い、ゆっくりではあるがまだ動く。その数は十や二十ではきかない。床を引っかき、ギイギイと不快な音を立てながら、俺を目指して移動する。
流石に、数が多い。鵺は本体の相手、俺と玉犬で手をどうにかしようにも、潰したそばから手は本体から落ちてくる。きりがない。呪力の残りもあまりなく、こちらの手を増やすのも現実的ではない。暑さでぼうっとしてくる。汗が止まらない。吐き出す息が熱いのがわかる。
油断ではない。単純に、今の俺の対処能力を越えた状況だった。
床を叩いて飛び跳ねた手が、俺の頬を爪で切る。木を引っ掻いてぼろぼろになった爪の先はでこぼこしていて、切り傷というより抉られた様な傷になった。

傷の痛みは然程ない。
聞いた事のない誰かの声が、頭の中で響いた。

『今日も殴られた。腹も背中も足も痛い。あいつら顔は殴らないんだ』

『ドリンクがない。水道に空のボトルだけがあった。隠しておいたのに何で見付かるんだ』

『先生、あいつら何でこんな事するんですか。この痣見えるでしょ。先生』

何人もの声が重なって聞こえる。痛い。苦しい。暑い、熱い。やめて。離して。どうして。なんで。

いじめに遭った男子生徒の噂。それが本当か嘘かなんてきっとどうでもよくて。その噂に恐怖を抱く人の心が生んだ呪霊には、いじめというものへのイメージが全て詰め込まれていた。

『役立たず』

『足を引っ張るな』

『お前、いつまで続けるつもりだ?』


『最後の夏だったのに』


「!!」

床に転がるバスケットボール。似ても似つかないのに、そのイメージに1年前の光景が重なる。


切り裂かれたバッシュ。

地面で潰れた心臓。

殴られて腫れた頬。

胸に空いた穴。

蝉の死骸。

袖を通した夏服。


『いいことなんてなにもなかった』


頭が、痛い。



虎杖がいないまま、夏は、終ってしまった。



「……ッああぁあッ!!!」

頭が痛い。体が熱い。
大蛇。蝦蟇。手当たり次第に式神を呼び出す。
式神の行動には術師の精神状態が強く影響する。はやく。はやくこいつを祓わないと。
一斉に呪霊へ向かっていく式神達。如何に厄介な呪霊といえど、単純な呪力差は覆せない。群がる式神に容赦なく攻撃され、手のかたまりはあっという間に消えた。床に散らばっていたものも、本体と同時に砂の様に崩れていく。
動悸がうるさい。耳のすぐ横に心臓があるみたいだ。それ以外何も聞こえない。

虎杖は。どうなった。

首を動かすのすら思う様にいかない。ゆらゆら視界が揺れている。
何とか階下に視線を遣ると、虎杖がムカデの胴体を引き千切っているところだった。千切られたムカデの体が崩れていく。巨体は、もういない。俺が手のかたまりと戦っている間に祓い終えていた様だ。
白が黒に向かって吠える。黒が白に答える。虎杖の目が俺を映す。
良かった。無事だ。怪我らしい怪我も、恐らくない。

良かった。

意識が煮える。目を開けている事も、立っている事も出来なくなって、膝が崩れた。朽ちて途切れた手摺の隙間から、階下のフロアに落ちるのが解った。
式神は、俺の膝が崩れるのと同時に影に溶けた。自力で脱する事の出来ない状況だけど、きっと大丈夫だと思える。
虎杖が俺の名前を呼んだのが、拍動の合間に聞こえたから。

きっとオマエが受け止めてくれる。そう思って、俺は意識を手放した。







車のエンジン音と微かな振動を感じて、閉じていた目を開く。
見えたのは助手席のシート。どうやら走行中の車の中だ。体を横にして寝かされている。

「あ…、伊地知さん、伏黒起きた」
「本当ですか?」
「うん。…伏黒、大丈夫?気持ち悪くない?」

虎杖の声が上から聞こえた。運転席に伊地知さんが座っているのは見えている。伊地知さんを収めた視界の下の方に、恐らく虎杖の膝。
膝枕をされていると気付いて体勢を変えようとしたけど、全身がだるくてまともに動かせない。虎杖の手が下りて来て、俺の額を撫でる。そこには何かが貼られている様で、虎杖の指の感触が遠かった。

「気持ち悪い…?」
「熱中症だろうってさ。おでこ、冷たいだろ」
「……あぁ…」

熱中症。暑い暑いと思ってはいたが、実際に体調を崩していたとは思わなかった。貼られているのは熱冷まし用の冷却シートか。

「…すみません、伊地知さん。迷惑を」
「迷惑なんかじゃありません。無理に動かず、休んでいて下さい」
「とりあえず近くの病院行くって。着くまで寝てていいよ」
「いや…平気…」

倒れた時よりは遥かに、気分はましだ。実際に動けるかと言われれば無理だが。
とりあえず体を仰向けにしてみる。俺を見下ろす虎杖の顔がすぐそこにあった。

「虎杖も、迷惑かけた」
「かけたのは迷惑じゃなくて心配な。もー焦ったよ。急に叫んだと思ったら式神全部出して、呪霊倒したと思ったら2階から落ちて来るんだもん」
「受け止めてくれたんだろ。ありがとう」
「…無事で良かった」
「…オマエも」

虎杖の掌が俺の頬に触れる。そこは、例の2級呪霊から付けられた傷のあるところだ。ほんの少しだけ痛みを感じるが、離して欲しいとは思わない。
あの手のかたまりはあんなに気持ち悪かったのに、この手はこんなに気持ちいい。目を閉じて、掌に擦り寄る。無意識だった。

「……」
「……」

やってしまってから、行動の恥ずかしさに固まる。ふたりだけという訳でもないのに。伊地知さんがいるのに。

「あ…、えーと…」

虎杖の顔がじわじわと赤くなる。恐らく俺の顔も赤いだろうが、それは熱中症の所為だと、今なら言い訳が出来る。
照れている虎杖を見ているのが面白くて、つい口許が緩んでしまう。ひとりだけ不利なつもりなのだろう虎杖が、空気を変える為に努めて明るい声で話題を変えた。


「さ、流石に暑かったろ、伏黒。倒れるまで無理するくらいなら、やっぱり夏服にすればよかったんじゃない?」


胸に穴を空けて笑う虎杖。
真夏なのに寒さを感じるくらいの雨。

突如フラッシュバックした、あの時の映像。
頬の傷が突然痛んだ。

「……」
「伏黒?」
「いやだ」
「へ?」

「夏服は着ない」

夏服、は、いやだ。着ない。着たくない。
頭を乗せていた虎杖の太股から降りようと、無理矢理体に力を入れる。いつもなら簡単に起こせる上半身が、今は重くて仕方がない。
かなりの時間をかけて、何とか上半身を起こす。虎杖から距離を取る様に、ドアに背中を預けた。

「なんで?」
「必要ない」

頬の傷が痛い。
虎杖の視線が痛い。
さっきまであんなに、あの手に触れられて気持ちよかったのに。

「…倒れたじゃん」
「今回だけだ」
「信じない」
「オマエには関係ない」
「関係なくない!!」

運転している伊地知さんが、虎杖の大声に肩を跳ねさせる。それで車の操作を誤る様な事はしないが、驚かせてしまって申し訳ない。現実逃避だ。今伊地知さんの事を気遣っている余裕なんてないのに。
真っ直ぐに見詰めてくる目が、痛い。逃げたいのに、この狭い空間で、この体調ではどうやったって逃げられやしない。
関係ない訳ない。虎杖の言葉通りだ。


「……夏服が、嫌いだ」


絶対に着ないと。言わないと、決めていた。
何故俺は口を開いているんだろう。

「なんで?」


「オマエがいないから」


自分から距離を取った癖に、虎杖に向かって手を伸ばす。掴んだのは、袖。虎杖が着ている夏服の袖だ。
去年は見なかった。今年初めて着ているのを見た。


「オマエが、いないから。今ここに、ちゃんといるのに、夏になったらいなくなってしまうから、夏だなんて思いたくないから、だから」


あつい。
車内は冷房が効いていて、額には冷却シートが貼ってあるのに。
ゆらゆらする。ぐらぐらする。きもちがわるい。

夏は嫌い。
夏は虎杖がいない。

夏服の俺は、虎杖のいる時間を知らない。



「夏服を着たら、オマエがいなくなる…!」



掴んだ袖に皺が寄る。さっき自分から距離を取ったのに、自分から引き寄せる。硬い胸板に頭をぶつけて、そこに穴が空いていないか確認する。
穴なんてない。心臓は確かにここにある。
それなのに何故、俺はこんなに、こわいと思っているのだろう。

「伏黒」
虎杖の手が、頬に。親指が頬の傷をなぞる。
ぴりっとした痛みが走る。もう血は出ないが乾いてはいない。

「…これ……」

傷を擦る指に力がこもって、痛みが強くなる。
虎杖から与えられる痛みだ。ここにいるから俺に触れている。生きているから動いている。拒絶する理由なんてなかった。
少しずつ、実感する。虎杖は生きている。夏だけど、夏服を着ているけれど、生きている。


「……。大丈夫だよ伏黒、俺はここにいる。二度と死んだりしない」


頬に唇が降る。伊地知さんが、いるのに。あぁでも、運転しているから。こっちを見ていないから、いいか。何をしているかなんて解る訳がない。
傷に触れて、傷に吸い付いて、傷を舐める。少しずつ麻痺してくるみたいだ。痛みが引いていく。

「…どの口が言うんだ。処刑待ちのくせに」
「そうだな。でも死なない」
「………」

運転席の後ろ、伊地知さんの死角で、触れるだけのキスをした。
虎杖の感触。虎杖の温度。虎杖が生きていること。伝わってくる、虎杖の、ぜんぶ。


「虎杖」
「ん?」


「…あつい」


車が病院の駐車場に停まり、虎杖に肩を借りて外に出る。
やはり暑い。そりゃそうだ、真夏の真昼なんだ。こんな黒づくめ冬仕立ての服で、命削って駆けずり回ってなんかいられる訳がない。

夏服を着るのは、…いやだけど。
でも虎杖は死なないと言うし。俺が守るから死なないし。

寮に帰ったら、クローゼットから夏服を探そう。
虎杖を守る為に、パフォーマンスを落とす訳にはいかないから。
















『以上が今回の詳細である

追記
事前報告から漏れていた2級呪霊について

対象者の傷口から体内に呪力を流し込み、対象者が持つ心的外傷に干渉し同調・増幅させる作用があったと推察される(対象者 伏黒恵)
体内から呪力を取り除けば効果は消える模様
帰路・車内にて対処済み

報告者 補助監督 伊地知潔高』





 ◇ ◆ ◇















壁に掛けられたハンガーには、何日か前まで着ていたものより余程生地の薄い服が掛かっている。
袖は短く、首回りは多少すっきりとして。

「……」

手に取るのを躊躇っても、もう片方はクリーニングに出してしまった。これを着る他ない。
憂鬱だ。これを着て外に出て、そうしたら、どういう反応をされるか解り切っている。

「…、くそ」

乱暴にハンガーから外し、乱雑に袖を通す。約1年振りに着るそれは、以前よりほんの少しだけきつい。







「おはよう伏黒! オマエ半袖似合わねーなっ!」



ほら、やっぱり、そうやって笑う。
思った通りの、真夏の太陽みたいな笑顔だった。


「うるせぇ、ばーか」







c o m m e n t (0)



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