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But nobody's listening

社内研修の講師に選ばれました。

知らない人より知ってる人の方の前で喋る方が緊張するのは私だけでしょうか。

ほんとにやりたくなくて、でもやるしかなくて、せめて失敗しないようにと準備ばかりで、ずっと21時とか22時とかに帰る毎日でした。
休みの日も新幹線の中でプレゼンの練習してたり。

営業さんたちはそんな私を心配して、別の階のフロアにわざわざ様子を見に来てくださって、すごくありがたかった。
アドバイスもくれたり、ほんとに助けてくれました。
前の部署の上司も、話聞いてくれたり手伝うことある?って様子を見に来てくださったり。
みんな優しすぎでした(笑)


副講師の上司は自分の仕事が忙がしくて、私が作ったパワポにちょこっと修正を入れるだけ。
そのわりには、他の講師のパワポがすごかったよーと私に報告してくるのでうんざり(笑)

それでも何度も練習して、しゃちょーにも修正入れられながら、なんとか頑張って作ってきたプレゼンでした。


それなのに、当日は打ち合わせなんか全くしてなかったのに、副講師である上司がことあるごとにプレゼン中に補足事項として口を挟む挟む…。
でも、私台本も見せたよね、何を話して何を話さないか知ってたよね。
なんでそこでアドバイスしないの。
最初は緊張してたのに、緊張が怒りに変わってきた(笑)
プレゼン最中なのに泣き出しそうになった。

口を挟むなら最初から一緒に作ってほしかったし、でも事実全部私が作ったんだから、私にやらせてほしかった。
例えそれが失敗したとしても。

私が作った私のプレゼンなんだよ。
私の成果なんだから。

これで誉められたってなんも嬉しくないし、むしろ悲しい悔しい。
その評価は自分のものじゃないんじゃないのって絶対思う。
なんで横取りするの、なんでいいとこだけかっさらうのって。

プレゼンは相手に伝われば良いんだから、私のこの怒りは自分本位なんだろうけど、全然納得いかなくてあとから号泣した。

まだ納得いってないし、まだ考えると涙出てくる。
ひねくれてると周りの人に言われるけど仕方ない。
100%の自分の評価が(例えそれが70点でも40点でも)50%の評価になって、それが例え100点だとしても私の満点は50点にしかならないことに腹が立つ。

理不尽さをどれだけ耐えられるかが社会人としての優秀さだとしたら、私は社会人として0点なんだろう。
社会人辞めたい。

自由を手にした僕らはグレー

名古屋に行ったときに付き合ってもらった『ゴッホとゴーギャン展』。


ゴッホはともかくゴーギャンは好きなタイプの絵じゃないです(笑)
ベタベタな絵は好みじゃないので。
でもこういう展示ってなかなかないから面白そうだったので。

初期ゴッホって意外と暗い。
ここらへんゴーギャンと通じるものがありそうな気がする。
ゴーギャンは脱サラ(笑)してて、庶民派というか常識的っぽい雰囲気。しかも初期はベタ塗りちゃうやん(笑)なぜそのままいかない?(笑)パナマに渡ったのが多分分かれ目だったな。ブルターニュならベタ塗りにはならなかった気がする。

ゴッホで好きなのは、『グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝 』。
黄色とか青とかの絵自体はわりときっぱりとした色のイメージだったけど、こういうパステルカラーの絵も素敵でした。

ゴッホとゴーギャンの共同生活は実際短期間で終わったそうだけど。
ゴーギャンを迎えるにあたって、ゴッホはゴーギャンの寝室に飾ろうとひまわりの絵を描きまくってたらしい。
すごい重いなって笑ってしまった(笑)
しかもなんでひまわりかっていうと、以前ゴーギャンが気に入ってたからとか(笑)
ゴッホ、ヤンデレやん。

有名な耳切り事件も諸説あるけど、行かないで!的な耳切ならゴーギャンはそりゃトラウマだね。
ゴーギャンも可哀想だし、ゴッホも可哀想。
もどかしくて悲しいなぁ。


そんなゴッホとゴーギャンですけど、お互いリスペクトしていたのは間違いなさそう。

ゴッホの椅子とゴーギャンの椅子。
ゴッホがゴーギャンのために用意した椅子はひじ掛けがあって立派なのに対して、ゴッホの椅子はひじ掛けのない素朴な椅子。
ゴーギャンが去る前にゴッホが描いた『ゴーギャンの椅子』。
ゴーギャン本人は描かれていないにも関わらず、ゴーギャンの存在感がある作品。
描かれている本は、ゴッホがゴーギャンが黄色い家に来る際にプレゼントしたものかな。
本人がそこにいないことへの寂しさと愛用品にすら込められる親愛が入り交じってるように思います。絵自体もゴーギャンの作風に寄せて描いているように見える。

対になっている『ファン・ゴッホの椅子』は、パイプやら玉ねぎやら描いてて好きなものいっぱいな感じ。時間帯も昼間のよう。

一方、ゴーギャンも椅子を描いてます。
ゴッホが亡くなって11年?経ってから、『ひじ掛け椅子のひまわり』を制作。
ひまわり=ゴッホでしょう。そして黄色い家でゴッホが用意した椅子。

この絵を見て、ある構図を思い出しました。
好きな映画のシーンで、想い合う2人だけど結ばれなくて、2人のシャツを重ね合うの。
あのシーンでぶわーって号泣したんですけど、同じようにぶわーってなった。

展覧会最後、こんな言葉が。
「 作家のジャン・ドランは言う。私が”フィンセント”という言葉を発するとき、その声は優しいと。彼の想像は当たっている。……その理由は、言うまでもない」
いい展覧会だった。

ただ、私はせめて女の子と一緒に行くべきだった。出てきた後、気まずくて仕方ない(笑)
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