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積車に載せられて…。

こんばんは。
Rのミッションが故障してしまい、得意先に修理をお願いしました。
エンジンを下ろしてからミッションをバラす為、修理はかなりの高額になるみたい( ノД`)…
一般的に工賃だけで30万円前後はかかるみたい…。
何とか安くなる事を祈るばかりです。

リアルタイム( ノД`)…

おはようございます。
出勤途中ですが、突然ギアが入らなくなり身動きがとれなくなりました。
今、JAF待ちでございます(ノ_・,)
修理代、かなりかかりそうやわ…。
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おはようございます(つω・`)

今日は月1の土曜日休みv( ̄Д ̄)v
ただいま、九州新幹線に乗っております。
いやぁ、車内は綺麗やし、速いねぇ。
もう新神戸です。
さて、週末はゆっくりと楽しみたいと思いまする。
では、今日も元気に行ってらっしゃい(* ̄∇ ̄*)

國産車、栄枯盛衰ものがたり(2)

祇園精舎の鐘の声…奢れる人も久しからず、って今話題の大河ドラマじゃありませんが、日本車も時代とともに栄えて廃れてを繰り返してきたわけです。
戦後日本の自動車工業復興のきっかけは、1954年の道交法改正に伴う軽自動車規格の制定でした。
翌55年には、通産省が国民車育成構想(※)を発表。
これを契機に日本車の開発は一気に進んでいきました。
まず、中島飛行機ゆずりの航空機技術を投入し、国民車育成構想をほぼクリアする高性能ぶりで市場を牽引したのが、『スバル360』でした。
価格は36万5000円。
大卒男子の平均初任給が1万6000円に満たない時代、それは高価なモノでした。
その後、相次いで新型車が登場し、軽市場は一気に活性化。
でも、性能的には68年のホンダN360登場まで、スバルの優位は揺るぎませんでした。
一方、小型車は61年に38万9000円の低価格で登場した、『トヨタ・パブリカ』が63〜64年の第1・2回日本GP T-IIクラスで上位を独占したことで大人気に。
レース結果が販売に直結する時代だったのです。

※国民車育成構想…一般的には国民車構想と呼ばれ、4名乗車時に100km/h出せる事、60km/hで走行した時の燃費は30km/l程度走れる事、工場原価15万円、販売価格25万以下、などの条件を満たせば国が製造と販売を支援するという構想。

つづく。
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國産車、栄枯盛衰ものがたり(1)

こんばんは♪
某車雑誌に戦後から今に至るまでの日本車に於ける、様々な競争や時流に合う車を作る並々ならぬ努力やドラマが掲載されていたので、少しずつ紹介していこうかなと思っています。
知ってる車や知らない車等、色々ありますが俺自身、凄く勉強になりました。
とりあえず、今日はここまで!
そろそろ、寝る支度しま〜す。
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