ファインダー越しに覗く君はいつも何処か遠くを見ていた。
目線がこちらでも、何処か遠くに気持ちを置いて…
ファインダー越しに覗く君は今日も綺麗だ。
涼やかに笑って、美しく儚気なその瞳は僕の心を掴んで放さなかった。
君は僕という人間に興味を持ってくれては居ないだろう。
ただ、君の顔をカメラを通してしか見られないおかしな男。
きっとそういう認識。
僕が君を知ったのは何時だっただろうか。
ごく最近、という訳でもなく、遠く昔という訳でもない。
僕は記憶の海に身を預けてみた。
まだ夏と呼ぶには少し涼しい春の頃。
僕はカメラを片手に、広い公園のある図書館に来ていた。
僕は春が好きだ。
寒い冬を乗り切り、色んな植物が、人生を謳歌しようと芽吹く季節。
命溢れるこの公園が、最も美しく楽しげになる季節でもある。
その当の僕はと言うと、公園を歩き疲れ、適当なベンチに腰掛けていた。
朝に出て来て正解だったな、陽射しが心地好い…
目を閉じて、思い切り息を吸い込んで、胸いっぱいに澄んだ空気を詰め込む。
そして、その取り込んだ空気を吐き出すと、なんだか、この空気に溶けてしまいたくなった。
そんな風に深呼吸をしていると、鈴を転がした様な、なんとも可愛らしい笑い声がした。
僕は目を開けてそちらを盗み見る様に、そっと視線を向けた。
その鈴の声はやはり少女のそれで、見目も可愛らしい少女だった。
少女は僕の視線に気づき、まだほんの少し笑顔を含みながら謝ってきた。
なんでも、僕が余りに気持ち良さそうにしているものだから、可愛らしい、と思わず笑ってしまったそうだ。
僕に言わせれば、少女の方が何千倍も可愛らしいというのに。
僕が訝しげに見詰めていると、少女はまた鈴の様な声で笑った。
なんて心地好い笑い声だろう。
彼女はもしかして妖精か、はたまた、僕をからかう為に化けて出た、鈴の妖怪ではないだろうか。
そんな阿呆な事を考えて居ると、少女は僕の隣に腰掛けた。
僕はどきりとした。
何故なら、少女は魅力という物を、詰め込んで出来ている様な娘だったからだ。
少女の魅力を僕なりに言葉にすると、
黒く艶やかな瞳は、真っ直ぐ前を見詰めていて、桜色の唇は僅かに弧を描き、ほんのりと控え目に色づく頬の朱が、より一層、少女の透き通る白い肌を美しく際立たせていた。
そして、何より言葉にし難いのは少女の髪。
夜を思わせる程黒く深い色であると同時に、艶めくその黒は流れる水の様に、静かに美しさを波打っていた。
そんな美しい黒は腰までの長さを持ちながら、特に結わえてある訳でもなく、真っ直ぐに下ろされていた。
そしてそれは、風に靡く度に、そうである事が何よりも美しく魅せてくれる事を教えてくれる。
そうして僕が少女に見惚れて居ると、少女はその魅力溢れる容姿をこちらに向けた。
僕は思わず顔を逸らし、なるべく少女の顔を見ない様にした。
「ねぇ、貴方。どうしてさっきは大きな溜め息をついていたの?それも嬉しそうに」
僕は少し驚いた。
きっと少女は、僕の深呼吸を溜め息と勘違いしているらしい。
そして、少女はきっと好奇心で聞いているのであろう。
心なしか楽しげに僕を観察している。
僕はそんな可愛らしい彼女に答えた。
「僕は溜め息をついていたんじゃないよ、深呼吸をしていたんだ。」
こんな風にね、と僕は深呼吸をして見せた。
少女は、ふーんと、これまた嬉しそうに僕を見る。
なので、何と無く僕は深呼吸の理由も少し話して見せた。
「こうして目を閉じて深呼吸をすると、全身に新しい空気が回ったみたいで気持ちが良いんだ。
体全体でこの春を感じる…」
気持ちの良い陽射しを注ぐその青空を見上げると、晴れ渡る青を引き裂く様に飛行機雲が太陽に向かっていく。
すると、隣で僕を見ていた少女が、僕と同じ様に深呼吸をしていた。
「本当…凄く気持ちが良い
なんて言うのかしら、私の体が春でいっぱいになって、それで…」
「もしかして、自分も春になった様な…」
「そう!
私も春になって今にも芽吹くんじゃないかしらって
ふふっおかしいわね」
「いやおかしくなんかないさっ
すっ凄く…その、素敵だと思うよ!」
僕がそう言うと、少女は、その大きな瞳を見開いて、そして笑った。その鈴の様な声で。
そうすると、僕は自然と持っていたカメラを構えシャッターを切っていた。
ファインダー越しの少女は、不思議そうに僕を見詰めていた。
僕は慌てて謝った。だっていきなりその少女の許可を得ず、シャッターを切るなんて、余りに不躾だと思ったから…
でも、少女は快く許してくれた。
それどころか、君の好きな時に撮ってよ、とまで言ってくれた。
「え?その、僕としては喜ぶべき申し出なんだけど…どうして?」
「うーん、そうねぇ…」
少女は僕を見詰めていた視線を逸らして、青空を見上げた。
「ほら、同じ時間なんて二度と来ないでしょう?
だからね、今君がシャッターを切ったのは、きっと君がこの時間を切り取って残したかった…
だったらなんか、別に良いかなぁって
隠し撮りとかじゃないし、私を残したいなんて満更でもないじゃない?」
ね?と言って笑った少女は、今まで出会った誰よりも美しく、可愛いと思った。
「あの、ありがとう…
見ず知らずの僕なんかにそこまで言ってくれるなんて
でも、写真なんて悪用されたら大変だよ?」
「あら、悪用するの?」
「しっしないよ!」
「だったら別に良いじゃない?」
「警戒心ってものを…」
「深呼吸して春を感じてるって人が、それほどの事をするとは思えないし
此処で出会えたのも、きっと何かの縁よ。
縁は大切にしないとね」
なんて眩しい笑顔だろうか。
僕は少女の、花が咲き誇る様な完璧とも言える笑顔を、見詰めていたいというのに、直視する事が出来ない。
なんて情けない男だろうか…
自分が余りに女性に弱いと言えども、こうも微笑む彼女に顔を背けるなんて、これはこれで少女に失礼でないだろうか。
「じゃあよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。
ね、ちゃんと可愛く撮ってね」
「君はじゅっ十分可愛いじゃないかっ」
「ふふっありがとう。」
恥ずかしくて、とにかく恥ずかしくて、カメラを強く握って俯いていた。
すると少女の小さな手持ち籠の鞄から、何か聞き覚えのある、オルゴールの様なメロディーが流れ出した。
少女は少し慌て気味に、鞄から携帯電話を探し出して、画面を見詰めた。
「電話?出なよ、切れちゃうよ?」
「ううん、いいの。
でもごめん、今日はもう行かなきゃ」
「えっそうなの?」
「うん。
私、毎日此処来てるからまた声かけて」
「えっと、じゃあまた此処に写真撮りに来るよ
君の名前は?」
「少女A。ふふっ私も君の名前聞かないからさ、とりあえず今日は秘密」
その方がドキドキするでしょ?なんて言って少女は僕にウィンクをした。
そして、僕に手を振りながら少女は駆けて出て行った。
とにかく僕は、名も知らぬ少女Aとの、奇妙な撮影関係を作ってしまった。
そうこれが僕と君との出会いだった。
君は本当に不思議な魅力を内から、外からも放つ少女だった。
でも、まだあの頃の僕は、君の遠くを見詰める瞳には、気づく事が出来なかった。
ただ、君のような人に出会えた事が奇跡と感じ、赴くままにシャッターを切れる幸福に、酔いしれていた。
その瞳の奥に潜む切なさは何なんだい?
僕にはどうする事も出来ないのか。
どうか、君の艶やかな瞳に僕を映してくれ。
そんな祈る様なシャッターを今日も僕は切って居る。
ひと時ひと時を綴じ込める様な写真を、現像する事が出来ず、フィルムが引き出しに転がるばかり。
いつか二人でこのフィルムを現像しよう。