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不正行為

アメリカにデイヴィッド・ブリンというSF作家が居る

最初に読んだのはサンダイバーという作品だったが、これが俺の人生を大きく変える事になる一冊となった

サンダイバーというのは、太陽の表面に生物が暮らしている可能性に気づいた未来の人類が他の宇宙人と協力して太陽表面に降下しようとする探査計画を描いた物語だ

何とも壮大な発想に興味を抱いて読み始めてみたのだが、

実は読み進めている内にある事に気づいたのが人生をひっくり返す程の衝撃となった

サンダイバーの作品世界は知性化シリーズと名付けられて既に何冊も発売されている

知性化シリーズの舞台は数百年後の未来で、人類が銀河文明と接触した世界を描いている

銀河文明では生物が自然に知的生物に進化するのは不可能と考えられており、

あらゆる知的生物は他の知的生物によって人為的に品種改良されて知性を獲得している

この人工進化を知性化(uplift)と称する

知性化された生物は10万年ほどの期間を恩返しの為に奴隷として奉仕する種族となり、

知性化で奴隷を増やした種族を銀河列強、あるいは列強諸族(属)と呼ぶ

このような伝統を何十億年も受け継ぐ銀河文明が地球文明と接触した時、人類は既にチンパンジーとイルカを独自に知性化していた為に奉仕期間を免除されて列強の末席に名を連ねる事になった

ところがそれを不服とする列強諸族は地球侵略に乗り出す…という物語だ

ここまで書けば察しがつくと思うが、知性化シリーズは幕末明治の日本史を元ネタにしている

サンダイバーでも、主人公が日本の明治維新とアメリカ先住民の歴史を比較して異星人に解説する場面が描かれている

ヨーロッパ文明からの圧力を同じように受けたアメリカ先住民と日本人の運命が明暗を分けた事情については割愛するが、

知性化シリーズの作者は日本の近現代史をほぼ正確に理解していたのだ

司馬遼太郎の坂の上の雲を知ってる人なら、小村寿太郎と秋山真之がアメリカ先住民の悲惨な運命について語り合う場面を連想したに違いない

アメリカ先住民の二の舞になりたくないという一心で日本人が繰り広げた死闘を口汚く罵倒する事で初めて成立する反日史観を中国や韓国あたりに吹き込んだ張本人がアメリカである事には俺も小学2年生ごろから気づいていたものだが、

大東亜戦争は少なからず道義上の非がアメリカにある事実を公の場で認める勇気と誠実さを持たない限り、知性化シリーズみたいな作品をアメリカ人には書けない筈だ

アメリカ知識人の底知れない実力の片鱗を知性化シリーズで初めて思い知らされた俺は、デイヴィッド・ブリンの作品を片っ端から読むようになった

「知性化の嵐」は翻訳を待ちきれなくて紀伊国屋書店で英語版を買ったぐらいだ
ただし、デイヴィッド・ブリンの文章は斬新な概念がテンコ盛りで並の知識量や英語力では一体何の話をしてるのか分からなくなるので素人にはお薦め出来ない

かく言う俺も半分くらい読み進めたあたりで物語に描かれてる状況を殆んど全く理解してない自分に気づいたので大人しく日本語版の発売を待つ事にした

知性化シリーズの発売を待たされていた時期には同じ作者の「ガイア」を読んでみた

この作品は地球内部に非常に小さなブラックホールが存在している事で生じた天変地異に立ち向かう人類の物語だ

人類は地球規模の天災や人災に直面して悪戦苦闘を続けた挙げ句、

地球という惑星があたかもインターネットを一つの巨大な脳として意識を持つ生命体に生まれ変わろうとしている事に気付くという物語だ

先日、京都大学などの名門大学の入試でインターネットを使ったカンニングを試みた受験生が逮捕されたが、ニュースを聞いて俺が真っ先に連想したのがデイヴィッド・ブリンだ

近頃の大学では入試に限らず、試験のカンニングやレポート作成でインターネットを介してサポートを受ける不正が横行しているという

大学側でもネット上で見つかる文章に酷似したレポートを洗い出すソフトを導入して不正を取り締まっているそうだ

大学教授ともあろうものが馬鹿馬鹿しいイタチゴッコに時間を費やしてご苦労な事だが、

関係者によるとネットを使った不正には罪悪感を感じていない学生が少なくないという

試験中に問題をネットにアップして答えを聞こうとした今回のバカも、ネットを自分の脳の延長か何かみたいに錯覚していた感じがつきまとう

試験中に答えを他人から教えて貰う事が不正行為である事をちゃんと理解していたら、

ネットで堂々と答えを聞くなんて自殺行為には手を染めてない筈だ

どうせ携帯を使った不正をするなら、試験場の外に居る仲間と組んでメールをやり取りしていれば発覚する危険は格段に小さいという事くらいは小学生でも分かる

昔の中国の公務員採用試験である科挙では、不正が発覚した場合には凌遅刑に処せられた

凌遅とは肉体を少しずつ切り刻んで即死しないようにゆっくりバラバラにしていくという死刑だ

清朝では国家に反逆した大罪人の場合に凌遅刑に処せられた

昔の中国では国家に対する反乱と同じ重罪として扱われたのが入試の不正だった訳だ

浅田次郎の「蒼穹の昴」を読むと、清朝の科挙がどれだけ不正防止の工夫に全力を尽くしているのかを分かりやすく解説してある

そこまで徹底的に不正防止の対策を立てられているのに命掛けで不正をやる者が居たという事の方が驚かされる位だ

石原都知事は今回の不正について、時代の変化について行けない大学側が悪いと言い放った

昔から色々叩かれる事の多い石原都知事だが、問題の本質を見抜く眼力は相変わらず衰えてない

携帯を使った不正をさせたくなければ、試験中は預かるとか圏外の場所で受験させるような対策を大学側が工夫しなきゃならない話だ
インターネットを脳の延長として活用し始めた受験生の良心に期待する方が心得違いというものだ

俺の父は長年スポーツジャーナリストの端くれだったが、大相撲に八百長は無いと信じ切っていた

怪しい取り組みは1〜2回くらい見た事があるが、それ以外は全て真剣勝負にしか見えないと断言していた

プロの端くれである父がそこまで言い張る以上は基本的に不正は無いのが大相撲なのかも知れないとも子供心に思ったが、

大相撲の権力構造を見ている限り俺には八百長の温床にしか思えなかった

不正に手を染めた方が得する場合が多ければ、多くの人が不正に走るのは当たり前なのだ


覚醒剤を使うとテストで良い点を取れるというのでコッソリ使ってる中高生も増えて来たらしい


今の日本では野放しだが、アメリカでは一時的に脳を活発化するスマートドラッグという薬物が社会問題になりつつある

覚醒剤もスマートドラッグも副作用の問題があるので頻繁に使っていれば肉体や精神に生じる弊害も多大になるのだろうが、

大学入試の一発勝負に限ってであれば手を出したいという誘惑に負けてしまうのも人情だろう

受験生に尿検査を義務付けなくてならない時代は既に始まっているのだ

情報操作入門

情報操作というのは単に嘘をつく事ではない

真相の発覚を妨げる為に必要となる対策を怠ってその場しのぎの嘘をついたまま放置していたら、相手はいつかどこかで嘘だと見破る事になる

嘘の発覚を防ぐ為に新たな嘘をつく事を俗に嘘の上塗りと呼ぶが、情報操作の手段として嘘の上塗りを始めるのは最も危険な愚行だ

嘘が増大すればするだけ、真実と食い違う部分も増大して全てが台無しになるリスクがふくらむだけだからだ

先日実家に帰省した時、父が大のサッカーファンだと初めて気付いて驚いた

父は某六大学で野球部員だったし、卒業後はスポーツ新聞社に就職した

それだけを書いたら筋金入りの野球好きみたいに思われるだろうが、俺が物心ついた頃には既に何故か父は野球嫌いだった

だったらスポーツ新聞なんか作ってんなよと子供心に思っていたものだが、

そこの新聞はスポーツよりもマドンナがレズだったみたいな下らない嘘を垂れ流すのが本業みたいな部類なので父の野球嫌いも仕事には余り差し支えてなかったのかも知れない

とはいえ仮にもスポーツ紙の端くれである以上、年がら年中野球の話題に追い回されてる仕事には変わりない

そんな職場環境が次第に父の精神を蝕んで野球嫌いに仕向けたのかも知れない

単車好きな知人も、バイク便で働き始めたら休日には乗らなくなったのと同じようなものだろうか

それならサッカーだって大差ないだろうと思っていたのだが、帰省して父の動きを見ているとテレビでサッカー関係の話題に触れた時だけヤケに食い付きが良すぎる事に初めて気づいた

今までは過去にどんなトラウマがあるのか分からないから敢えて質問しなかったが、どうやら新聞社での仕事は野球嫌いとは関係無さそうだ

この際だから意を決して
理由を聞いてみたら、野球は見てるとかったるいから見たくないと答えた

何じゃそりゃ?

何かの儀式みたいにダラダラ進行する野球に比べると、サッカーにはプリミティブな闘争本能を刺激する魅力があるのは確かだ

世界的には野球よりもサッカーの人気が高いのは納得できる話だ

しかし、父には内緒だが俺はサッカーが割と嫌いだ

先日のFIFAワールドカップの日本戦は全部見ていたし、本田がゴールを決めた時には思わずウオ〜と声を上げて喜んだりはしたものだ
だから一緒に試合を見ていた知人はまさか俺がサッカー嫌いだなんて夢にも思ってないだろうが、

俺がサッカーに深入りできないのは、嘘つきの言動がやたら鼻につくスポーツだからだ

父は鹿児島出身で、幼い頃には示現流の朝稽古である立木打ちなどをやっていたそうだ

昔の薩摩武士にはひえもん取りという風習があった

ひえもんとは冷え物が訛った言葉で、解熱剤をそのように呼ぶ

薩摩の武家に生まれた海音寺潮五郎という作家によると、死刑にされた人間の肝臓の干物を削って解熱剤にするのがひえもんで、

海音寺本人も幼い頃に実家で服用した事があるという

ひえもん取りとは、死刑囚を大勢の武士で追いかけ回して殺害し、生き肝を抜き取った者が賞品として貴重な解熱剤をゲットできるという実に凄まじいスポーツだ

以前からひえもん取りの詳細な作法について調べてみたいと思っているのだが、ネットではどうもハッキリとした事は分からない

平田弘史の「薩摩義士伝」という漫画の頭ではひえもん取りの様子が描かれているが、

そこでは死刑囚を追いかけ回す武士達は鎧兜で身を固め、刀や槍で完全武装しているという

つまり、武士達を死体や殺人に馴らす為の軍事演習という意図を盛り込んだ行事である事を強調した描き方だ

ところが、里見惇という作家の「ひえもん取り」によると、死体一つに群がって生き肝を争奪する武士たちが余計な怪我をしないように刃物は禁止だったそうだ

死体から肝臓を抜き取るのも歯で皮膚を食いちぎり、素手で肝臓を引きちぎるという地獄絵図を繰り広げたという話だ

刃物がOKだったのかNGだったのかはよく分からないが、平田弘史の作品には結構事実からかけ離れた作り話も多いので逐一鵜呑みにはできない

ただし、実戦を想定した演習がてらの行事なら刃物を禁止するのも片手落ちな気がするからどっちが正しい描写とも言い切れない

いずれにせよ、昔の薩摩は同じ日本とは思えないほど血生臭い社会だった事には違いない

薩摩武士の若者は、銃撃にも慣れておく為に吊り鉄砲という肝試しもやっていた事は知れ渡っている

広間の中央に天井から火縄銃を紐で吊るしてグルグル回転させるのが吊り鉄砲だ

回転する鉄砲の周囲に皆で輪になり正座して教科書を輪読するのだが、紐をよじってグルグル回している鉄砲の火縄に点火しておくと、

いつどこに弾丸が飛ぶの分からないという薩摩式のロシアンルーレットだ

鉄砲は火薬の量を調節してあるので命中しても重傷にはならないが、当たった時に悲鳴を上げて痛がったり、弾丸に怯えて正座の姿勢を崩した臆病者は切腹を強いられるのが正式ルールだ

要は撃たれても何事も無かったように平然としてないと罰ゲームで自殺を強いられた訳だ

世界中が見ている試合の度に頻繁にゴロゴロのたうち回って拙者は被害者でござるとアピールするのに熱心な痛がり屋さんがサムライブルーと名乗っているのは失笑を禁じえないし、

薩摩伝統の剣術の稽古をやっていた父がひえもん取りの幼児向けルールみたいなサッカーに熱中するのは何とも皮肉な光景ではある

さて、今回のアジアカップは忙しくて全く見てないのだが、観客席の旭日旗を見てカッとなった韓国人選手が猿の仕草を真似た事が問題になってるそうだ

どんな旗を見てどんな感想を抱くのかは各自の勝手だと思うが、FIFAでは人種差別に繋がる表現は御法度という事で外国人を猿扱いするのはかなりヤバいらしい

ドイツ戦ではオリバー・カーンという名のゴリラがゴールポスト前に佇んでいる奇妙な光景がしばしば目撃されたものだが、

相手チームのサポーターはカーン選手をからかう為に客席からバナナの皮を投げ込むイタズラがドイツでは流行っていたそうだ

相手の顔をバカにするのは下品なジョークには違いないが、猿みたいな顔だと笑われた事を人種差別問題に結びつけて日本が被害者ヅラするのは考えものだ

韓国人選手は最初、旭日旗を見てカッとなったからゴールを決めた時に猿の真似をしたとコメントしていたが、

人種差別だという非難の声が大きくなると前言を翻して自分がスコットランドで猿扱いされた事に対する意趣返しだから日本人を侮辱する意図は無かったと弁解した

とりあえずFIFAの処罰を免れたいだけという本音が透けて見えるような浅ましい嘘の上塗りには笑わされるが、

韓国では日韓戦で旭日旗を掲げる日本人が悪いという論調が圧倒的らしい

日本の主なメディアも韓国に迎合して観客の旭日旗に騒動の原因があるかのように報道していたが、

ネットではそもそも当日の観客席では誰も旭日旗を掲げてなかったという指摘も出てきた

テレビ朝日などは今回とは別な試合の映像をわざわざ引っ張り出して旭日旗が実在していたかのような印象を植え付ける捏造報道を故意に企んだとも言われている

誰かが嘘をついているのは明白だが、俺は試合も見てないので旭日旗の有無に関する真相は今のところ分からない

だが、そんな事は重要な問題ではない

韓国人が猿の仕草を真似ただけでギャーギャー被害者ヅラし始める日本人は、

自分でも実は日本人を猿に近い人種だと考えているという本心を見透かされてしまうだけだ

心の奥でどんな人種観を育むのかは各自の勝手だが、そんな情けない本心なら外国人の前では隠し通して平然を装って貰わないと他の日本人が迷惑する

イギリスでは既に韓国人選手が日本人を猿扱いした原因をスコットランドに責任転嫁したと騒ぎ始めている
情報操作というのは一生懸命嘘を上塗りする事なんかではない事すら理解してない嘘つきは、自分がついた嘘に追い詰められて自滅するだけだ

ホスト国となった韓国のインチキが横行した事で悪名高い2002年のFIFAワールドカップの時に、オリバー・カーン選手は韓国のインチキなんか実力で蹴散らせば問題ないと平然を貫いた

ドイツからやってきたあのゴリラだけが本物のサムライだったのだ

ウィキリークスの使い方

近頃の老若男女の悩みと言ったらどこに機密情報を流出させたら良いのかという問題ばかりのようだ

漁船の体当たり映像が入ったSDカードをCNN東京支局に送った例の海上保安官はCNN東京支局の住所が朝日新聞本社と同じ場所である事に何故か気付かなかったみたいだが、

案の定SDカードの内容は握り潰された為に結局はyoutubeへの投稿が世界初公開となった

民主党にとって最大級の支援団体として悪名高い朝日新聞に限らず、

大勢の人間の利害が関わっている組織が必死に隠そうとしている秘密を個人が世間にぶちまける以上はぶちまける方も命懸けの大仕事になるのも当然の事だ

警察内部の不祥事を追求していた元警察官でジャーナリストの黒木昭雄氏も先日11月2日に自殺したそうだが、

故人は生前から自分が自殺した場合には殺されたのだと考えて欲しいと発言していたそうだ

勿論、彼が殺されたというのは誰もが直感で分かる話だ

おそらくは世界でも最高レベルにクリーンで品行方正な部類の暴力装置であろうと思われる日本の警察ですらこの有り様なのだから、

アメリカ政府の機密情報を何十万件も晒したウィキリークスのジュリアン・アサンジ氏がいつまで生き延びる事が出来るのかはもちろん予断を許さない

ICPOは先日アサンジ氏を婦女暴行容疑で指名手配したが、命懸けで巨大な組織の不正と戦う英雄を下ネタで中傷して評判を落とそうと企むのも実に分かりやすい古典的な戦術だ

何も悪い事をしていない民間人の集まりに無人機で銃撃を加えて殺戮した米軍の蛮行が記録された機密映像をウィキリークスが公開したから、

アサンジ氏は性犯罪者の濡れ衣を着せられたのだと誰もが直感するだけの話だ

今朝はNASAが地球外生物に関する重大発表があるとTVで報じていたが、

ウィキリークスが宇宙人に関する機密情報を手に入れたからだなんて噂も飛び交っている

それがホントなら実に興味深い話には違いないが、

以前からアメリカ政府が宇宙人との関わりを隠しているという噂が事実ならいずれ証拠が流出するのも時間の問題だろう

ただし、いつまで待ってもウィキリークスに宇宙人関係の面白い機密情報が一向に出てこなかった場合にはどうなるか?

色々とヤバそうな情報が流出しているウィキリークスでも一向に宇宙人絡みの情報が出てこなかったら、

アメリカ政府は宇宙人について実は殆んど何も掴んでないという話になるのではないか?

こう考えてみると、アサンジ氏は案外長生きして平穏な余生を過ごせる気もしてきた

世界中のありとあらゆる組織の構成員がこぞって情報をタレ込む相手を一元化してしまえば、

アメリカ政府は情報漏洩のリスクを最小限に留めておけるばかりか世界中の機密情報を手軽に入手できる訳だ

アメリカ政府がホントに隠しておきたい情報をウィキリークスに渡した連中は、
実は人知れず自殺したりしてないだろうか?

北方領土

ロシア大統領が国後島を訪問したというので日本側では大騒ぎしてるそうだ

ロシアにすればロシアの正当な領土に立ち入るだけなんだからわざわざ日本を気にする義理も無いし、

気にする素振りを見せても何の益もない

資源バブルが翳り始めたロシアにとって、税収にして年間1兆円もの水産資源を生み出す北方領土はなけなしの金の成る木だ

日本人はまだ理解してないようだが、日本自身が核武装しない限り未来永劫取り戻せないが、

核武装すれば極めて簡単に解決するのが北方領土だ

核保有国にとって核戦争を回避する為に支払うコストというものは、

核戦争を回避しなかった場合に支払うコストを必ず下回る

だから核保有国が相手の場合に限っては、領土をおとなしく返還するという選択がロシアにとっても魅力的な話ともなる

ところが、ロクな見返りも提示しない今の日本の言いなりに北方領土を返還しても、ロシアが得るものは何も無い

返還した途端に北方領土のロシア軍基地跡には星条旗が翻り、アメリカの覇権下に収容されるのがオチだ

ロシア政界ではそんな事態を無意味に招いた譲歩の愚を糾弾されて、どんな政治家も失脚を免れない

北方領土問題とは本来、アメリカが日露接近を妨げる楔として日本とロシアに二枚舌を駆使して打ち込んだ罠に他ならない

ロシア側はそれを百も承知している

つまり、日本が北方領土を奪還する為に武力行使に踏み切ったとしても、

日露が領土問題で反目し続ける状態を望むアメリカは日本を支援する為の核攻撃だけは決して行わない

ロシアにとってはいつでも日本を一方的に核攻撃できるのだから、

わざわざ今の日本なんぞに譲歩してやる必要など無いのだ

だが、日本自身が核武装した場合には話が全然変わってくる

核武装した日本との核戦争を回避しながらロシアが太平洋上の島々にしがみついている事は不可能だからだ

太平洋においては、カネ食い虫の海軍を増強する競争で日本を出し抜く余力などロシアには無い

従って日本が核武装した場合、なるべく良い交換条件を出して樺太や千島列島から手を引く事がロシアにとっての最善策となる

日本が核武装しているのかどうかは、ロシアにとってこれだけの違いがあるのだ

押尾学

人生で大切なものは3つある、愛と友情だ

などの発言でネットでも有名な押尾学の裁判が随分と話題となっていたようだ

結構以前から押尾学のとてつもない傲慢さと頭の悪さに着目していたウォッチャーたちによって、

数々の発言がお塩先生語録などと嘲笑されていたのはネットユーザーなら誰もが知る話だ

ただ2006年の時点で、押尾本人は世間に伝わるお塩先生語録の8〜9割はでっち上げだとコメントしていたようだ

どうやら世間ではお塩先生語録がバカにされてる事に気付く程度には常識が備わっていたと見える

しかしお塩先生語録の全てが常軌を逸した破壊力を持つ以上は、例え事実が1割だけとしても頭の悪さは疑いようが無い

とはいえ、言われてみればお塩先生語録には少なからず捏造の気配がある

「俺の先祖は平家、だから源氏名に興味がある」

「内緒だけど、銃を持ってる」

あたりは余りにアホ過ぎて話を鵜呑みにする事すら難しい

確たるソースがあるのかどうかは知らないが、ここまで来るとお塩先生というキャラがネットで独り歩きをした創作ネタという気がしてならない

さて、ネットではそんな愉快な現象を引き起こしていた押尾被告に懲役2年6ヶ月の実刑判決が下り、押尾は即座に控訴した

この判決にはテレビでもネットでも重過ぎるだの軽過ぎるだのと様々な意見が入り乱れて何やら穏やかではない

無罪か執行猶予付き判決でない限りは脊髄反射みたいに控訴していたであろう押尾本人の反応はともかく、
いったい世間では何を基準に重いだの軽いだのと意見が食い違っているのか?

それを考える際に、まずは裁判所で刑罰を決定するという制度の本質を改めて考えてみたい

裁判所で有罪か無罪かを慎重に吟味して適切な刑罰を決定するのは、

犯罪者に対して国民が自発的な復讐や身勝手な制裁に走る事態を国家権力は抑止したいからだ

いくら警察がセッセと犯罪者を検挙しても、国民の大多数が納得できない判決ばかりが相次いでいたらどういう事になるか?

そんな社会では次第に国民は警察や検察を尊重しなくなり、

国民が各自で適切だと思う復讐や処罰を社会のあちこちで随時勝手に実行する無政府状態に陥るだろう

国民の復讐権や自力救済を制限して社会の秩序を保つには、国民の大多数が納得するような判決に努める事が国家権力の役目となる

これが裁判所の最優先課題であり、国家権力が裁判を取り仕切る本来の目的だ

言い方を変えれば国民の大多数が納得する程度に公正な手続きと論理的な審議による判決でさえあるなら、
無実の被告人を冤罪で死刑にしようが基本的には問題ない

例えば死刑反対論者の意見を聞いていると、そのへんの道理が全く念頭に無い人ばかりだ

死刑の存在が犯罪者に抑止効果を殆ど発揮していないと指摘したり、冤罪による死刑の可能性が生じるのは言語道断の人権侵害であるというのが死刑反対論の主な意見だ

その指摘は概ね正しい

だが、裁判所は民主主義や人権思想を布教する為の寺院ではない事が分かっていないのが死刑反対論者の誤りなのだ

裁判所の本質は、国民各自の復讐権を規制する代償として運営する国営復讐代行公社に過ぎない

その目的は私的な復讐に走る人々を極力減らして無政府状態に陥らないように努める事であり、

その為には特に法律の専門家という訳でもない国民の大多数が漠然と納得できる判決である必要がある

更生の機会だの人権だの判例だのは二の次、三の次の話なのだ

冤罪が心配だから死刑を廃止しろと言ってる連中というのは、

国民の大多数が漠然と納得できるような司法制度を台無しにしてでもとにかく冤罪をゼロにしなくてはならないと考えてる訳だ

そういう価値観の持ち主ならば廃止すべき制度をわざわざ死刑に限定するのはおかしい

冤罪の可能性をゼロにする事が他のどんな事情を差し置いてでも達成しなくてはならない最優先課題ならば、裁判所も検察も警察も全廃する事を目指すべきだ

必ずしも法律に詳しい訳ではない国民の大多数が漠然と感覚的に尊重したいと思える司法制度の維持よりも冤罪ゼロの方が大事だと言いたければ、

それ以外はあり得ない

冤罪を理由に死刑に反対するというのは、それだけイカれた言動なのだ

法律の専門家である判事が素人の判断に耳を貸す裁判員制度も、国民のバランス感覚からかけ離れてきた近年の判例を修正する為でなくては意味が無い筈だ

どうも今回の押尾の裁判に関しては、そこを見失って重箱の角をつついているような見当違いの意見が目に余る
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