前作「春過ぎて」「夏の夜は」「夜渡る月の」「夕闇は」の続編。一期一振×三日月宗近で、パロディです。
審神者はじめ、オリキャラがいます。苦手な方は、閲覧をご遠慮ください。
長かったですが次の章で完結のはず…です。
9.幻
深淵の闇の中に漂う、むせ返るような臭い。これは、懐かしい匂い。主とともにあった日々、常に傍にあったもの。ようやくここまで来た。取り戻すのだ。主の望んだ栄光を。闇の中で、それはカタカタと音をたてて笑った。
それにしても、と。うつろな眼差しで傍らにたたずむ青年をみて、それは思案する。(何とも御しやすい輩よ。)あと少し。あと少しで、宿願叶ってこの器を手に入れることが出来れば。もう一度役に立てるようになる。
肉を薙ぎ、血をすすり、敵を屠ってこそ刀は意味を成す。
(お前もそう思うであろう、夏藤。)
ケタタ、と骨がきしむ音が聞こえた。
「そこで、何をしているのです!」
鋭い声が響き、ふいに夏藤は我に返った。振り向けば、鍛冶場の入り口に、いつも以上に険しい表情を浮かべた審神者・岩音が立っていた。
「…これは、義母上。いかがあそばしたのです?そのように、慌てて。」
あなた様らしくもない、などと。年に似合わぬ高い声で笑う。ケタケタと。先ほどまで、どこからともなく聞こえていた音に似たその笑い声に、審神者はますます顔を険しくする。
「こんな時分に、断りもなく、そないなとこで何したはるのと聞いとるのや!」
「それはこちらのセリフですよ、義母上。これは、どういうことなのか。ここの管理者たるあなたには、説明する義務がある。」
そう言って、中将は立ちはだかっていた細身をわずかにのかせた。次の瞬間、あらわになった炉の焚口を見て、審神者は絶句した。
そこには消し炭のように真っ黒な、いびつな人型が転がっていた。無残に焼け焦げたそれは、確かに人間の形をしていた。
「これより、ここは何人も立ち入ることまかりなりません。」
「何を世迷言を。どき!いったい誰__」
「下がれと言っている。粟田口岩音。」
これは、頼みごとではなく命令だ。冷たい声で、宣言する義息の顔を、審神者は怪訝そうに見つめた。いったいどうしたというのか。これが日ごろ、けだるそうに生意気な目線を投げてくるあの婿殿だろうか。否__
「…あんさん、誰や?」
「何を寝ぼけたことを。この場はもはやあなたの場ではない。ここよりは、軍警たるものの領域だ。この屋敷は名義上とはいえ私の家。今これよりは、私の指示に従っていただく。誰ぞ!義母上をお部屋へお連れするのだ。私がよいというまで、お出ましにならぬように。」
すかさず、現れた男たちが、老女の両腕をとらえ、引きずるように鍛冶場から引き離した。老いた審神者は驚きながらも目を凝らす。若い義息の肩口にまとわりつく影。あれは、間違いなく、あの日あの鍛冶場の中に淀んでいたもの。
(嗚呼、そないなことが…。ほな、あの子を、松枝を殺めたんは__)
恐ろしい確信とともに湧きあがったのは、何としてもこの場を打開し、取り戻さなければならないという思い。それこそが、最後に成せる唯一の償いとなるだろう。
邪な何かに取りつかれた式神たちに囚われた老審神者は、覚悟を決して、今はただ、信頼するモノたちを待つことを決意した。
「妙ですな。こうも主殿の御姿が見えぬとは。」
帰館して半刻も立つというのに、審神者が姿をあらわさない。自室にいるとの人伝のお達しはあったが、理由がわからない。普段であれば、どれほど疲れていても、屋敷内が落ち着かぬ間は決して人任せに引きこもったりはしないお人なのである。
聊か命に背く感があると後ろめたく思いながらも、やはり同じ不審を抱いていたらしい刀剣男士たちが、ひそかに飯炊き場に集まった。その中心は一期一振だ。
「我々が社へ立った時には、お加減が悪いようには見えなかったが。」
不機嫌な声で、長谷部が言った。彼は命じられた以上、いかなる理由があれ命に従うべきだという持論がある。しかし、それでいて、結局は会合に参加しているというところに、実は今すぐにでも主の部屋の障子を蹴破って無事を確かめたいくらいにその身を案じている本心が現れていた。
「そうだよね。それに、ご自分のことも僕らのこともいつもはっきりと意向を示す人だもの。献立だって、何でもいいって言われたこと一度もないよ。」と燭台切光忠。
「なんで飯の話になんだよ。腹減ったけどよ。」どこかズレた光忠のたとえ話に早くも思考を脱線させつつあるのは同田貫だ。
「そんなことより、大事なのは今から僕らがどうするか、だと思う。」小夜左文字が言葉少なに軌道修正を試みる。粟田口の前田・平野兄弟が同時に頷いた。「様子を見に行くべきかどうか、ですよね。」
「僕…心配です…。」泣き出しそうな声で、五虎退が言う。叱られてもいいから、様子を見るべきだという思いが一同に広がった。
その時、スパーンとものすごい勢いで厨の板戸が開け放たれた。
そこへ翻ったのは、白。
「遅くなったな!真打登場だ!どうだ、驚いたか?!」場違いに明るい台詞とともに、ばばん!と仁王立ちになった鶴丸国永の姿が、固まっている全員の視界に入った。と、思った矢先に何かに蹴倒されて消えさる。
「やれ、喧しいぞ、鶴。皆が驚いておる。それに何やら不穏な様子。他の者に気づかれては事だ。」
顔面から土間に突っ込んだ鶴丸の背後から、ゆるりと三日月宗近が姿を現した。
「イタイイタイ。そうだったぜ。非常時なのをうっかり忘れてた。この不穏な空気の現況がわかったぜ。」
それを知らせに来たんだと、気を取り直した鶴丸が、本題を話しはじめた。
「何が起こっているというのです?主殿はいかがなされた?」
「うん、下働きの話じゃどうやら鍛冶場で人死にが出たらしい。使用人どもはみんなえらく狼狽えてるぜ。主殿もさすがにまいってしまわれたんだろうってその野郎は言ってたが…。」
「鍛冶人に付き添われて自室に戻られたのを見届けたという者がいた。だが、それとてもはなはだゆゆしい。」
「と、申しますと?」
「俺は最近来たばかりだから仔細は知らんが、主殿は娘御を亡くしている。つまりこの家で人死には初めてじゃあない。先の戦の下、女手一つで御家を守った女がこの程度のことで腰抜かすと思うかい?おまけに、主殿が姿を見せなくなってからこっち、ひとり元気に張り切ってる奴がいる。」
まさか、と嫌な予感がして一期一振が眉をひそめた。その意を汲んだとばかりに三日月が頷いて、続けた。
「中将の君だ。軍警が来るまで誰も鍛冶場にも主殿のお部屋にも近づくなと下知したそうな。それが半刻も立つというに、表には車の影すらない。巡査の一人も駆けてこぬというのはいささか奇妙ではないか?」
「つまり、主を退けて、彼の君が何か謀を巡らせておると?」
「そこまでの仔細はわからんが、現状、どうにも藤坊がカギだな。問題は、俺たちの誰も奴の御傍近くに侍ったことがないってことだ。探りを入れようにも怪しまれずに近づけぬようじゃあ、見つからんように下っ端に近づくまでがせいぜい。これじゃあ埒が明かん。」
鶴丸の言に、しばし瞑目したのち、一期一振が顔を上げた。
「皆さま、私に策があります。」皆が一斉に一期を見やった。幼い者達は、一様に、普段親しんだ兄の顔を不安げに見上げている。その様子に、一期は何としても早急に平穏を取り戻さねばならないと決意した。視線を挙げて、三日月のほうを見る。彼もじっと一期を見つめていた。
「三日月宗近殿。お力を貸していただきたい。」視線をそらさずに、言った。「無論だ。して、どのように?」いつものようにおっとりとした声色で三日月が応じる。(聡明で、鷹揚なお方だ。記憶があってもなくてもいつも親しく隔てなく居てくれた。)それでも、今までの自分ならば、きっとつまらぬ遠慮をしてとても頼めなかったに違いない。だが、今は違う。何よりも大切なことは、この家を、主を守らねばならない。この方の居場所、自分たちの家を。
「中将殿にお目通り願い、事情を探っていただきたい。貴方にならば、あるいはお話しくださるやもしれません。」
「あいわかった。その役目、引き受けよう。」
ありがとうございます、と一期が微笑んだ。その優しげな表情に、おやと三日月は思い当たる。そういえば、ここへきてこの方、こうして真っ直ぐな笑顔を向けられたのはこれが初めてではないだろうか。
しかし、次の瞬間には、一期は再び将の顔に戻って、次々と下知した。
「粟田口の皆は、ここにおらぬ方々に内々に現状をお伝えするように。小夜殿、兄上方への伝言が済んだら、五虎退とともに他の方へも回ってください。鶴丸殿は主殿のお部屋まわりの人の配置を調べていただきたい。ただし、くれぐれも気取られぬように。伝令には、鳴狐の叔父上のお供殿をお使いくだされ。」
「合点承知の助だ。それじゃあ、さっそくいってくるとするぜ。」言うが早いか、鶴丸は走って厨を出て行った。
「それで、僕たちは何をしたらいいかな?」と燭台切。隣で、長谷部も待ちかねたように険しい視線を向けている。
「他の皆様は、情報収集が済むまではなるべく普段通りに過ごしていただきたい。長船殿はここで、普段通り食事の仕込みをする振りを。伝令の拠点は、この厨といたします。事の次第がわかり次第、人をやって他の皆様にも動いていただくように知らせをやります。」
よろしいか、と指揮官が一同を見渡す。異論はなかった。皆一つ頷いた後、ひとりまたひとりと、怪しまれぬようにめいめい持ち場へと向かって散っていった。
「三日月殿」
一期が呼んだ。麗人が振り向く。最も危険な役目を負うのは彼だ。
「彼の君のこと、頼みます。どうか___」
お気をつけて参られよ。そう告げられた三日月は聊か面食らったように一瞬間抜けな表情になった。次の瞬間には、袖で口元を多い、笑い出す。何かおかしなことを言ったかと戸惑う一期に、月は懐かしげに眼を細めた。
「なに…お前にそれを言われようとは。変わるものよと思ってな。世も人も、移ろうが道理か。世が世なら、それは俺のセリフであったのだろうな、吾が君。」
だが、これもまたよきかな。そう呟くように告げ、麗人はふわりと姿を消した。
続.
2015-12-30 00:51