こんばんは、彼方です( ´ ▽ ` )ノ

先日、“昭和の時代は解らない事があればどうしていたか?”を池上彰さんの番組で拝見しました。

私はカズレーザーさんは凄いなぁとよく思うのですけれど、やはり“解らない事があれば辞典で調べていた”だそうです。

“その作業をする事で、そこまで行く時に知識がついてくる”だそうでした。

とても良く解ります。

「何故こうなんだろう?」と考えたり、しますからね。

今日は購入品。

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暫く触っていなかった、天然石。

いま、ほんの少しあれば、イヤリングやブレスレットに使えるのになぁと思い、6mm玉と8mm玉を買いました。アソートで。

私が見た感じでは石の偏りも無くて、少なくとも2つ入っていれば揃いのイヤリングは出来るなぁと思っていましたが、これで充分です(*´ω`*)

ブレスレットは、天然石のみでブレスレットにするのでは無くて、革紐ブレスに使うつもりでおります。

イーネオヤを革紐に編みつけたくて。

それの隙間に天然石を入れる予定でおります。



私は「話を聴いて」と言われる事が多い人ですが、

私自身はあまり「聴いて」とは行けません。

幼い頃からのトラウマかな、と。

「聴いて」と話すと「それくらい何だ」と言われる事が多く、ネット上の方に話しても、「○○で大変なんです」とお伝えしても「私なんか△△が大変よ〜」と返してくる方というのがいます。

アダルトチルドレンだと気づいて、自分だと思っていたものは自分ではなく、両親が“このような人間であれ”と思った人間だった、本当の自分だったものはどこに行ったのか解らなくなった、というショックを受けた時に、

私は呼吸もまともに出来ない程のショックを受けました。

それに詳しい彼女に訊きましたが「私は入院して1年で治した」とか「カウンセラーに読んでおく本を渡された」とか言われるばかりで、私の話は通じませんでした。

私の通っている病院は、現在医師は全て外部からの通いの医師で常勤医師がいないので、精神科の入院病棟は無くなりました。

カウンセラーさんに本など渡されていません。

そんな話をしても「あのね、私だってショックだったけど立ち向かったんだよ」と言われるばかり。

話を“聴く”というのは、“相手の立場に立つ”、“相手に寄り添う”という事だと思うのです。

いくら、住んでいる環境が悪くて入院も出来ない、入院するとしたら遠い病院になり、そこにはカウンセラーさんはいない、と話しても話しても、

「私も遠い病院だったよ」と。

彼女は都会の方ですが、都会の遠いと田舎の遠いの差が解っていないな、と感じました。

自分の都合の良い時、誰かのお世話をしたい時は無理やりにでも関係を繋げる割に、助けを求めた時は突き放す、という(^-^;)

私はよく「話を聴いて」とは言われますが、私側からは「何かあったら私に言ってね」とは滅多に言いません。

私に何か出来るとは思わないからです。

話を聴いてきて解ったのが、問題は解決しなくても良い、という事でした。

「それをどう感じるか」
「どうして行きたいか」

というのは、相手が黙って話を聴いてくれる人であれば、ご自身で道を見つけてくれるのでした。

先の彼女は、自分の解決法を示す事が多く、それが私の許容範囲内か?などはどうでも良かったみたいでした…

そう解ってからは、この人に話すのは止めようと思いました。

「暑いね」と言われたら「冷房入れたらいいよ」では無くて、

「暑いね」と言われたら「暑いね」と返せば良いのです。

すると、その先をどうしたいか、相手が決めて下さいます。



いつも来て下さる方々、拍手を下さる方々、ありがとうございます(*´∀人)

ではまた(≧▽≦)ノ

話題:ハンドメイド関係の購入品★

ああしなさい、こうしなさいと言う割には責任取らない人というのはいます(^-^;)

相手も自分自身でこうしたいと思って動けば、不満があっても自分のせいだと思うのでは、と。

ああしなさい、こうしなさいと言われて動いたら、何かあったらあなたのせいだと言われてもおかしくない、と思います…

指示を出す立場だと自分が思うのであれば、考えてみても良い、と思います(*´ω`*)