1808年の10月
長崎港に
オランダ船を装って入ってきた

イギリスのフリゲート艦
フェートン号は
オランダ商館員2名を拉致して

長崎奉行所に水と食料を
要求してきました


長崎奉行所はフェートン号の
攻撃を準備しますが
長崎奉行所に避難してきた
出島オランダ商館長は

拉致されている商館員2名の
命を守って欲しいと
フェートン号攻撃の回避を
懇願します

しかし本当はオランダ商館長
ヘンドリック・ドーフには
日本の軍事力では
イギリスには太刀打ち出来ないと
既に解っていたとされてます


言葉による交渉だけで
フェートン号が
長崎港から出て行って貰えたら
それに越したことはない

仮に長崎奉行所が
フェートン号を攻撃して
追い返したとしたら
次はイギリス海軍もしくは
イギリス軍が
やって来る可能性がある

そうなると長崎出島はおろか
長崎の町が焼かれて
多くの命が奪われてしまう

ドーフはそれだけは
避けたかったと思われてます


また当時長崎港警備を担当していた
鍋島藩は普段の太平に慣れて
警備の人数を
本来の兵力の1/10まで
減らしてました

長崎奉行所は急遽応援を
薩摩藩、熊本藩、久留米藩などに
求めることにしました

フェートン号は拉致した
商館員の1名を解放し
改めて水と食料を要求します

もし要求が受け入れられないなら
長崎港の船全てを
焼き払うと通告してきました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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