元々昔は男だった、とまでは言わない。
ただ、元々、今に至るまで「女」は苦手だ。
仲良くしていた女の子が最終的に周りの人間を引き連れて私に言葉を浴びせた去年の夏、
「ああ、やっぱり所詮はこの子もオンナノコか」
と思ってしまったほどには、苦手だ。

集団でお手々繋いでお手洗いに行く様子なんかをよく、小中学校で見てきたけれど、それを見るたびにただただ、気持ち悪い、としていた。
小学5年生で転校した先の学校はド田舎で2クラスしかなくて、毎年、転校生はよそ者、といじめる、なんて学校で、女の子のグループが寄ってたかっていじめて、ただ気持ちが悪かった。
その中で、遠くから見ていたり、いじめに参加したりする男の子の中で、隣の席だった子だけは、普通に接していてくれていた。
今にして思えば、そういうのに無頓着な子で、興味がなかったのだろう。
私同様明るいわけではなく、中学の頃にはすでにアニメなんかの話もできているような、いわゆるオタク側の子だったし、と。
性格が合っていたのだろう。
その子と一緒にいて、楽で、その子の周りの男の子も普通に接してくれて、楽で。
その辺から多分、私の、女嫌い、男好きが始まったのだけれど。

小学生の時にはもう「俺っ子」で、やっぱりその子は何も言わずに受け入れてくれたけれど、母親は受け入れてくれなかった。
女3人家族の中で、長女で、それなりに「男役」もなんとなくしていて、
やっぱり今考えてみれば、だけれど、私の男っぽさを否定し始めたのは、今の義父にあたる人ができてからだな、と。
引っ越したのも、そういえば、と。

それですべてが狂わされた、とは、言わない。中学に入ってから家族になった義父とは、未だにうまく話せない。趣味は合うはずなのに、別にそういう年齢の人の方が楽なはずなのに。まあ、初婚で、中1と小4の子供がついて来れば、接し方もわからないか、と。

それでも、まあなんというか、男の人を好きになって、厳密には、確か中学3年くらいだけれど。
その頃にはまだ男を直そうとは思わなかったけれど、結局最後には当時の彼は、俺っ子は嫌だったよ、と言った。
付き合ってる最中は、別にいいと言ったのにな、と思ったけれど、それを今言っても仕方ない、と、そうか、と。

それから何度か男というものを知って、だんだんと女らしくなってきた、と。
言葉は男だけれど、立派に女の子だよ、と。

正直な話、その、「女の子だよ」には、吐き気がした。
ああ、私もああなっているのか。自分のことしか考えられないようなクズの人格に近づいているのか、と。
女がすべてそうとは言わないし、元々自分がそうじゃなかったとは言わないけれど、ね。
蛙の子は蛙、って話で、母親の関係で、そういう、女に対してのクズ意識が強かっただけ、というか。
母親も、しっかりと私がこんな年齢になるまでに、いやしっかりとした成長ができているとはとてもじゃないけれど言えないけれど、でも育ててくれた。
母親の力だけではないとわかっているが、それでも見ていてくれた。案外にしっかりした、少し人より我儘で子供なだけな人なのかもしれないと、最近では思える。

やっと最近、女の子になれて、慣れてきた。 
それでもやっぱり自分の中に「俺」が残っているなというところがあって、実はそんな自分を楽しんでいたりもする。

結局何が言いたいのかというと、存外に両方を知るというのは楽しいということ。
人から奇怪な目をされるというのは、女になってからも多い。元々ズレた子供なのだ。
だったら、見た目と中身が違うなんて、そんなものはただ、些細なことでしかない。
男である自分を受け入れる、ではなく、女になった自分を受け入れる、方が大変だったことを思えば、やはり自分は男寄りだったのかな、と。
隣の席の彼も、「キミは女らしくなくて話しやすい」と言われたな、と。

そういえば彼は、女の子が苦手な、純粋な子だったな、と。

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